2018年3月30日金曜日

『<意識>とは何だろうか』下條 信輔

 講談社現代新書。副題「脳の来歴、知覚の錯誤」。
 錯視というものがある。同じ長さの線分なのに違う長さに見えたり、ひとつの絵がおばあちゃんに見えたりお姉さんに見えたり、まあ色々。そのとき脳の中で何が起こっているのか調べると、別に異常な出来事が起こっているわけじゃなくて、あくまで脳は正常にちゃんと動いている。じゃあ錯視、つまりは知覚の錯誤ってどういう現象なの?ってなってくる。モノがあって、それが目の中を通って脳のある部分で解釈して見える。そういった単純な例で考えてみるだけでも、「見えてる」っていう現象が脳の特定の部分だけの働きからなるわけではないと考えざるを得なくなってくる。この本のタイトルにある「意識」も同じように、脳をどんどん細かく分けて調べていけばその実態がつかめてくるというわけじゃなくて、もうちょっと広く考えなきゃいけないんじゃないかという話になってくる。極端な話、意識は脳を出て体にしみ出し、環境をも取り込んだ概念じゃないかということも可能性としてはあるんじゃないかと。脳-身体-環境系とでも言おうか。しかしここで著者は「来歴」という概念を意識に取り込むことを提案する。今まさにここにある現在の脳や環境だけじゃなく、私たちが辿ってきた「来歴」もまた意識の構成要素じゃないかというのだ。
 つまり、とここで概略を説明したいところなのだけれど、この辺は結構込み入った議論になっていて、著者がわかりやすい言葉で丁寧に解説しようとしている努力はとてもよく見えるのだけれど、実のところ私にはあまり腑の落ちる説明ではなかった。ピントがずれているわけではないのだけど、何だかソフトフォーカスを利かせすぎてぼやけているみたいな。著者は物理的還元論的なアプローチと心理学的認知論的アプローチをどうにか融合させてうまい具合に着地点を見つけようとしていて、その意図は十分に伝わってくるのだけれど、結局は今の脳科学や心理学の議論の中で「意識とは何か」という結論は出ていないのだな、ということだけが、何だかよくわかった。「意識」とか「無意識」ってふだん何気なく口にしているけれど、その正体を見極めるのはとても難しいんだな。

0 件のコメント:

コメントを投稿