2018年5月20日日曜日

『Solo』Nils Frahm

 2015年。ニルス・フラームによるピアノアルバム。
 このアルバムは、高さ3.7メートルもの高さのあるKlavins M370というアップライトピアノを使って録音されている。音はやわらかく深みがあって、ややもの悲しい雰囲気も感じられる。ギターで言えばギブソンのアコギのような印象に少し近い。すべての楽曲が即興によるもので、わりとシンプルで静かなものが多い。前半はそうやって流して聴けるような曲の構成になっているけれど、後半は、ピアノらしからぬ音を奏でる(なんだかストリングスのような)『Wall』みないた激しさのある曲や、低音の響きが印象的な『Immerse!』、ドラマチックな『Four Hands』のような曲も入っている。オーヴァーダビングしているように聞こえるものもあるけれど、すべて一発録りだという。
 実は本作はチャリティ・アルバムでもあって、彼の友人のピアノ職人David Klavinsが作ろうとしている高さ4.5メートルのピアノKlavins M450(このアルバムで使用されているKlavins M370のさらに大きい版)製作のための資金調達のための作品でもある。彼は毎年の88番目(ピアノの鍵盤数が88)にあたる日を「Piano Day」とすることを宣言して、このピアノソロアル バムを急遽リリースしたのだという。ちなみにWorld Piano Newsによると、プロジェクト発足から3年が経った2018年初めに、Klavins M450は完成した模様。リンク先に写真が掲載されているけれど、ピアノとは思えない壮大な形をしている。

2018年5月19日土曜日

『宗教国家アメリカのふしぎな論理』森本あんり

  NHK出版新書。[シリーズ]企業トップが学ぶリベラルアーツのうちの一冊。
 アメリカという国がよくわからないと、ときに感じる。科学の最先端を行っていると思っていたら、国民の結構な割合の人が進化論を否定したりしているみたいだし、最近では科学に対する予算が削られたりしている。世界平和を願っているのかいないのかもよくわからない。アメリカ・ファーストを叫びながら、それってアメリカ国民にとってもよくないことじゃん、と突っ込みたくなることもある。とここまで書いてきて、この疑問って「トランプがわからない」と言ってるのと一緒じゃないか、と思った。
 本書によると、トランプ大統領のような大統領は、アメリカという国にとっては別に珍しい部類に入るわけではないのだという。ジャクソン、アイゼンハワーなど、似たような大統領は今までにもいたらしい。ではなぜこのような人が多くの支持を受けるのか。
 それは特殊な宗教国家としてのアメリカの事情にあるらしい。成功している人は神に祝福されている。祝福されている人は成功する。成功しないのは努力が足りないからだ。極端に言えばこういう論理らしい。しかしキリスト教は、元々は勝者だけじゃなく敗者(という言い方は適切ではないかもしれない)も救う宗教だった。初期のキリスト教は実際受難の歴史を辿ってきて、必ずしも成功者ばかりが信じる宗教ではなかった。ところがアメリカは、この受難を経験していない、つまり幸運にも勝者の論理だけで突き進んでこられた国家だというのだ。なのに今のアメリカ国民は、ラストベルトに代表されるように勝者とは言えない人たちが増えてきた。彼らは、なぜ自分たちは救われないんだろうと自分たちの「負け」を理解できない。キリスト教による「富と成功」の福音、そんな伝統がアメリカを覆っているのだという。
 そしてもうひとつの忘れてはならない伝統が「反知性主義」なのだという。これは勘違いしがちだけれど、「反・知性」なのではなく、「反・知性主義」と解釈すべきだという。つまり知性そのものに対する反発なのではなく、ハーバードに代表されるエリートと政治が結びついて権威となることに対する反発なのだという。そして反知性主義とポピュリズムは相性がいい。
 こんな風にして、宗教国家としてのアメリカを解説しているのが本書である。新書という形式上、著者としては言いたいことをすべて盛り込むことはできず論理の飛躍があったりする部分もあるんだろうとは思う。しかし、単純にアメリカを自由と平等の国だと考えるのは早計すぎる、というのは本書を読むとよくわかる。現代の世界情勢を語る上で、こういったアメリカの特性を知ることは必須の知識であろう。

2018年5月13日日曜日

『失敗の科学』マシュー・サイド

 ディスカヴァー・トゥエンティワン。有枝春 訳。副題「失敗から学習する組織、学習できない組織」。
 失敗が人命に大きく関わる業界として、医療業界と航空業界がある。ところがこのふたつの業界には大きな違いがある。患者の10人に1人が医療過誤によって死亡または健康被害を受けているとの研究結果もある医療業界。それに対して2014年のジェット旅客機の事故率が100万フライトに0.23回という航空業界。その違いはどこから来るのか。それは失敗との向き合い方にあるのだという。失敗の原因を、仕方のないこと、個人の資質の問題にするのではなく、徹底的に科学的に調べ上げ、業界全体で共有していけているかどうか。
 医療業界だけでなく、政治においてもふつうの企業活動においても、さらにはスポーツにおいても、失敗が起きたときに誰かをスケープゴートにしてそれで解決させてしまっていることはないか。本当にその誰かがすべての責任を負うべきなのか。他に問題はないのか。こうした解決を行うことで、真の原因は改められることなく、同じ事故はいつまでも続く。逆に失敗を隠蔽することにつながり、 事態はいっそうひどい状況になっていく。本書ではそのような具体例を数多く取り上げ、失敗との向き合い方を指南する。
 大きな成功を収めている企業やスポーツ選手らは、ずっと成功の道を歩み続けてきたわけではないのだという。数多くの失敗をし、それらの原因をこまめに調べ、改善を行い、次につなげていく。そういった努力の積み重ねが彼らの成功につながっている。
 日々の報道、SNSなどを見ていると、安易な犯人捜し(魔女狩り)に終始し、それだけで満足してしまっている例が多くあるように感じる。人間はそういったスケープゴートをターゲットにすることで変な満足感、正義感みたいなものが満たされてしまう生き物なのかもしれない。しかしそういった行動や懲罰は問題解決にはつながらない。むしろ問題の本質を隠すことさえある。組織の成長だけではなく、個人の成長、社会の成長のためにも、本書を一読して、失敗との向き合い方を今一度考え直すことが大事だと感じた。

2018年5月12日土曜日

『Autumn』George Winston

 1980年。『オータム』ジョージ・ウィンストン。
 ちょっと前に、番組だったのかCMだったのか忘れてしまったのだけれど、テレビからジョージ・ウィンストンの『Longing/Love』(『あこがれ/愛』)が流れてきて、ああ、懐かしいと思い、このアルバムに入っていることを確認して、買ってみた。『Longing/Love』は昔から何度も色んなCM等に使われてきたので、聞いたことのある人は結構多いんじゃないかと思う。ちょっともの悲しげな、ソロピアノ曲だ。そしてまたこのアルバムに入っている7曲すべてが、同じくソロピアノによるものである。どの曲もわりとメロディーははっきりしており、ややスローテンポの癒やし系の音楽だ。ただし今風の環境音楽とは系統が違って、少し古くさく感じる面もないではない。あと、趣味の問題だけれど、ピアノの音があまり好みの音ではなかった。もうちょっとやわらかい音が好きかな。少しキンキンして聞こえる。
 話は変わるけれど、このアルバムがウィンダム・ヒル(Windham Hill)・レーベルから出ていることを知って、びっくりした。ウィンダム・ヒルはギターのイメージが強かったので(アレックス・デ・グラッシ、ウィル・アッカーマン、タック・アンド・パティ、マイケル・ヘッジスなど)。色んな音楽を出していたのですね。

2018年5月5日土曜日

『ブルンディ・ムバンガ・ナチュラル(2018)』横井珈琲

 Burundi Mpanga Natural。ブルンディのムバンガ・ウォッシングステーションのコーヒー。ブルンディの農家は小規模なものが多く、ウォッシングステーションと呼ばれる生産処理場に持ち込んで、コーヒー豆を処理しているのだという。だからこの豆も、ムバンガ地区の豆ではあろうけれど、単一農園のものではない。このステーションの処理方法はウォッシュトプロセスが主なようだが、このコーヒー豆はナチュラルプロセスによるもの。
 わりとすっきりとした飲み口で、ビワや梨といったようなさっぱりとした酸味を感じる。華やかな香りが心地よく、フルーツミックスジュースのような複雑さも持っている。くせは少なく飲みやすいが、スペシャルティコーヒーっぽい高級感も持っていて、なかなか贅沢なコーヒータイムを味わえる。

工房 横井珈琲

『Having』Trespassers William

 2006年。トレスパッサーズ・ウィリアムのサード・アルバム。
 私がインディーロックやドリームポップ・バンドとして知られるトレスパッサーズ・ウィリアムを知ったのは、ロッテ・ケストナー(Lotte Kestner)が以前所属していたバンドだと聞いたときが初めてだった。ロッテ・ケストナーの本名はアンナ・リン・ウィリアムズ(Anna-Lynne Williams)といって、トレスパッサーズ・ウィリアムではヴォーカルやギターを担当していた。私は彼女の声や歌い方がとても好きだったので、導かれるようにこのバンドに到達した。
 ロッテ・ケストナー名義の曲よりは多少音数が多くてにぎやかな気はする。でも基本はそんなに変わらなくて、なんだかアンビエントな、あるいは空中を漂っているような、そんな音楽である。ただ、パッドのせいか音があまりクリアではなく、厚い雲に覆われているような雰囲気を感じないでもない。
 このバンドは2012年に解散しているけれども、もうちょっと他のアルバムも聴いてみようかと思っている。

2018年4月30日月曜日

小学生以来の長期入院

 不覚にも運動中に脚を怪我してしまって、入院し手術をした。そんな入院中に、暇をもてあましてボールペンで描いたスケッチ。
 描いている途中に看護師さんが来て車椅子をずらしてしまい、そこからは想像で描いた部分もあるので、パースがおかしくなっていたりするのも、まあ愛嬌。ボールペンのインクが途中から出なくなったのだけれど、ほぼ描き終えていたのでこれくらいの雑な完成度でもいいかな、と自分に言い聞かせてもいる。
 本当は入院中にアップしたかったのだけれど、スマホからはどうしても画像をアップできず、退院してからのアップになった。そんなわけでしばらくブログの更新が止まっていたりする。
 それにしても、手術前よりも手術後の方が痛みがひどく、さらにいえば入院中よりも退院してからの方が痛みがさらに一層増すっていうのは思いもよらなかった。痛み止めのセレコックスで全身薬疹が出て、痛み止めを飲んでいないせいもあるのかもしれないけれど。また、薬疹って薬をやめたらすぐによくなるわけではなく、結構長く後を引くことも初めて知った。薬疹のケアが意外と面倒くさい。入院中に処方された薬が原因の薬疹だったら、その分の治療費くらいは自費じゃなくてもいいのに、とちょっと思ったりもしたけれど、そこまで病院側が負担するとなると病院経営はうまく成り立たなくなるのかもしれないですね。
 というわけで以前のように活動できるようになるまでの半年の間、リハビリをがんばらねば。

2018年4月13日金曜日

『これ、いったいどうやったら売れるんですか? 』永井 孝尚

 SB新書。副題「身近な疑問からはじめるマーケティング」。
 「人はベンツを買った後どうしてベンツの広告を見てしまうのか」とか、「あの行列のプリン屋が赤字の理由」、「なぜセブンの隣にセブンがあるのか」など、ふつうの人から見ると「なぜ?」と思うような商売の話題を取り上げ、それらをわかりやすい言葉で解説している。
 マーケティング理論というと何だか難しそうでとっつきづらい雰囲気がある。例えばこの本でも触れている、バリュープロポジション、ブルーオーシャン戦略、チャネル戦略、ランチェスター戦略、キャズム理論なんて、一般の人には何が何のことだか、という人が多いだろう。でもこの本では、これらの言葉を使いつつも、具体例を織り交ぜながらやさしく親しみやすい言葉で丁寧に説明してくれているので、さらっと読むだけでマーケティングの基本的な考え方がすーっと頭の中に入ってくる。
 マーケティングについての本格的な本を読破したことのある人や、マーケティングの勉強をしたことのある人にとっては、あまりにも当たり前のことしか書いていないと物足りなさを感じるかもしれない。でも世の中を見ると、せっかくいい商品を作っているのになかなか売れなかったり、とても人気があるのにすぐに潰れてしまったりする店が結構たくさんある。私はカフェや雑貨屋巡りが好きだったりするけれど、お気に入りの店がいつの間にか閉店している例は枚挙に暇がない。それはもしかするとマーケティングの基本がわかっていなかっただけのせいだったのかもしれない。だとすると、マーケティング理論というのは、商売をしている人にとっても敷居の高いものなのかもしれない。そうであれば、そんな人達にこそこの本を読んでマーケティングに興味を持ってもらい、より深い本を読んで戦略を練り、商売をしてもらいたいと思った。やっぱりお気に入りの店は潰れてほしくないものだから。もちろんマーケティングに興味を持った一般の人が最初に手に取る本としても、とてもいいと思う。

2018年4月10日火曜日

『ムダな仕事が多い職場』太田 肇

 ちくま新書。
 日本の職場には無駄が多いという。非効率でだらだらと続く会議、稟議制などの意思決定の仕組み、重箱の隅をつつくようなマイクロマネジメント、顧客に対する過剰なサービス、部分最適化した完璧主義、そして無謬主義等々。これらの無駄によって先進国の中でも日本の生産性は低くなってしまっているのだという。著者はこのように現状の仕事上の無駄を分析し、その原因がどこにあるのかを指摘し、処方箋を与えてくれる。
 この無駄をなくすためには「改善」ではダメで、「革新」が必要なのだという。そして、その「革新」には外圧や内圧が必要であるとする。そのモデルとなってくれるのは、意外にも日本の中小企業なのだという。これらの企業の置かれた状況は、欧米のそれに似ており、「革新」のヒントが多く含まれているというのだ。
 現状分析、そしてそこから脱するための処方箋ともに、実に穏当な議論をしていると思う。ただ、それはわかるんだけれど、その「革新」を行うために、日本の大企業や役所がどうやって変わっていったらいいのか、それを乗り越えるためのその壁の高さに絶望的になる。これらは構造的なものだから、社会全体の仕組みを変えるほどの外圧が必要なのではないかと感じる。今、企業や政府(行政?)の膿みがどんどん明らかになってきている最中なので、もしかしたらこれを機会に大きく変革が行われるのではないかという期待を胸にしている。

2018年4月8日日曜日

『Live in Europe』Melody Gardot

 2017年。メロディ・ガルドー。
 本作は、彼女が2012年から2016年までにヨーロッパ各地で行った300を超えるコンサートの中から選りすぐった17曲を2枚組CDに収めたものである。初め聴いたときはそんなことは知らずにCDをかけていたので、てっきり1回のコンサートの音源をまとめたものだと思っていた。だからこの音源の出自を知ったときは驚いた。4、5年にかけてまったく違う場所で行われた、まさに時と場所を超えたメロディが、見事な統一感の元にひとつのアルバムを形づくっていたのだ。
 ライヴアルバムが聴き応えのあるアーティストは、本当に実力があるんだと思う。スタジオ録音よりも素晴らしい音楽を奏でる人たちもいる。逆にライヴだと音がしょぼくなってしまう人もいる(まあこれは録音の問題もあるのかもしれないが)。メロディ・ガルドーは明らかに前者だ。ジャズ系ということで、演奏者が長めのソロを繰り広げたり、楽しげなMCや観客の声なども相俟って、ライヴ感がたっぷり味わえる。
 それにしても彼女の声は独得だ。時にハスキーだったり張りがあったり。そして一番特長的なのはビブラートを強くかけた歌声であろう。その歌声が彼女自身の作った曲の上で感情豊かに表現される。やっぱり彼女の曲はいいです。

2018年4月5日木曜日

『老人の取扱説明書』平松 類

 SB新書。
 タイトルはちょっと悪意を感じないでもないけれど、内容は実にまっとうで、とてもよかった。
 老人はキレやすいし頑固だし、赤信号を平気で渡ったり、都合の悪いことは聞こえないふりをするくせに突然「うるさい!」と怒鳴ったりする。そんなあるあるは、実は性格が悪くなっていたり認知症になっていたりするためではないんだということを教えてくれる。
 ではなぜか。それは老化のせいなのだという。まぶたが落ちてきて遠くが見えなかったり、歩く速度が落ちていたり、高い音が聞こえなくなっていたり。その老化のせいで、若い人にとってはわけのわからない行動に見える行動が、実際にはごく当然の反応だったのだということがよくわかる。さらに、その老人の行動に対して他の人はどのように接すればいいのか、自分がそうならないためにはどうすればいいのか、もし自分がそうなってしまったらどうすればいいのかについて、わかりやすく解説してくれている。
 ひとつひとつの話題が、そのどれもがなるほどとうなずけるもので、とても役に立った。老人の行動に困っている人は、ぜひ本書を手にしてみてほしい。ひとつやふたつは腑に落ちることが書いてあるだろうと思う。そうすれば、老人との付き合いも少しは良いものになることだろう。

2018年4月1日日曜日

『安渓感徳鉄觀音』遊茶

 あんけいかんとくてっかんのん。中国の青茶で、わりと標高の高いところにある福建省安渓県感徳が産地。
 鉄観音というと焙煎が強くて見た目が黒っぽいイメージがあるのだけれど、この安渓感徳鉄觀音は焙煎が軽くて、鮮やかできれいな緑色をしている。急須(茶壺)にお湯を注ぐと、もうすぐに爽やかで強い香りが辺りに漂ってくる。そして茶碗に移して口に入れると、これまたまろやかながらも爽やかな香りが口いっぱいに拡がってくる。味もとてもしっかりしていて心地よい甘さを持っており、爽やかなのに甘くてコクがあるという、なんとも贅沢なお茶である。味の好みにかかわらず、誰でもおいしいと思ってくれそうな素敵なお茶。

遊茶』東京都渋谷区神宮前 5-8-5

2018年3月30日金曜日

『<意識>とは何だろうか』下條 信輔

 講談社現代新書。副題「脳の来歴、知覚の錯誤」。
 錯視というものがある。同じ長さの線分なのに違う長さに見えたり、ひとつの絵がおばあちゃんに見えたりお姉さんに見えたり、まあ色々。そのとき脳の中で何が起こっているのか調べると、別に異常な出来事が起こっているわけじゃなくて、あくまで脳は正常にちゃんと動いている。じゃあ錯視、つまりは知覚の錯誤ってどういう現象なの?ってなってくる。モノがあって、それが目の中を通って脳のある部分で解釈して見える。そういった単純な例で考えてみるだけでも、「見えてる」っていう現象が脳の特定の部分だけの働きからなるわけではないと考えざるを得なくなってくる。この本のタイトルにある「意識」も同じように、脳をどんどん細かく分けて調べていけばその実態がつかめてくるというわけじゃなくて、もうちょっと広く考えなきゃいけないんじゃないかという話になってくる。極端な話、意識は脳を出て体にしみ出し、環境をも取り込んだ概念じゃないかということも可能性としてはあるんじゃないかと。脳-身体-環境系とでも言おうか。しかしここで著者は「来歴」という概念を意識に取り込むことを提案する。今まさにここにある現在の脳や環境だけじゃなく、私たちが辿ってきた「来歴」もまた意識の構成要素じゃないかというのだ。
 つまり、とここで概略を説明したいところなのだけれど、この辺は結構込み入った議論になっていて、著者がわかりやすい言葉で丁寧に解説しようとしている努力はとてもよく見えるのだけれど、実のところ私にはあまり腑の落ちる説明ではなかった。ピントがずれているわけではないのだけど、何だかソフトフォーカスを利かせすぎてぼやけているみたいな。著者は物理的還元論的なアプローチと心理学的認知論的アプローチをどうにか融合させてうまい具合に着地点を見つけようとしていて、その意図は十分に伝わってくるのだけれど、結局は今の脳科学や心理学の議論の中で「意識とは何か」という結論は出ていないのだな、ということだけが、何だかよくわかった。「意識」とか「無意識」ってふだん何気なく口にしているけれど、その正体を見極めるのはとても難しいんだな。

2018年3月25日日曜日

『First Sessions EP』Norah Jones

 2017年。ただし録音は2000年。ノラ・ジョーンズがデビューアルバム『Come Away with Me』を出す前に、ブルーノートがプロモーション用とライブ会場とウェブサイトのみの販売用に作った6曲入りのEPの再販である。最初のものは1万枚(あるいは5千枚)のみのプレスだったらしい。
 収録されている曲は、デビューアルバムの中にもある『Don't Know Why』『Come Away with Me』『Turn Me On』『Lonestar』の4曲と、アルバム『Day Breaks』の中にもあるホレス・シルバー(Horace Silver)の『Peace』の他、今までアルバムには収録されていなかったジェシー・ハリス(Jesse Harris)の『Something is Calling You』である。最初の4曲は、よほどノラ・ジョーンズを聴き込んでいる人でないと、デビューアルバムとの違いがわからないかもしれない。聴き比べると違うのだけれど。
 やっぱりノラ・ジョーンズはいいな、とは思う。初めて聴いた『Something is Calling You』は淡々とした演奏だけれど、絶妙な浮遊感が結構好きだったりもする。でもこの1曲のためだけにこれを買うかは微妙かもしれない(私はファンだから買うけれど)。デビュー作が世に出る前にこのアルバムを手にしていたら、感動の度合いはかなり大きかったと思う。でも今となっては、このEPの方が先に録音されたものにもかかわらず、既視感の方が強い。もっとずっと早くに手に入れて聴いてみたかった。

2018年3月20日火曜日

『「空気」と「世間」』鴻上 尚史

 講談社現代新書。
 「空気読めよ」なんて言葉をたまに耳にするけれど、じゃあ「空気」ってそもそも何なの?ということを解説してみせた本。山本七平の『空気の研究』と阿部謹也の『世間とは何か』からの引用が多く、半分くらいはこれらの著作をわかりやすくかみ砕いてみた感じである。
 「空気」と「世間」、そしてそれらの対立概念ともいえる「社会」。日本にもともと根付いているのは「世間」であって、「社会」というのは「society」の訳として近世の西欧思想の輸入とともに日本にやってきた概念なのだという。 これは個人が尊重される世の中でこそ成り立つもので、あまり日本的ではなかったらしい。「社会」はともすれば厳しくて、日本であれば「世間」を後ろ盾にして苦難を乗り越えることもできてきたが、例えばアメリカなどで苦しみから身を守る最後の術は「世間」ではなく、一神教としての「神」なのだ、とする主張はなかなかに興味深い。そのうえで、著者は「世間」を成り立たせる定義としていくつかの要件を挙げ、近年の日本ではその定義にそのまま当てはまる「世間」は崩れてきたとする。そして、その崩れた(流動化した)「世間」こそが「空気」なのだと結論付ける。
 そんな地に足のついていない「空気」を読みながら生きるのに疲れてきた人々は「世間」の復権を求めたりもする。しかし著者が勧めるのは、そうやって「世間」に生きることを目指すのではなくて、「社会」とつながって、複数の共同体にゆるやかに所属することなのである。「空気」にも「世間」にも翻弄されることなく。

2018年3月19日月曜日

『ホンジュラス NW ピノス農園(2017)』丸美珈琲店

 Honduras Los Pinos National Winner。ロス・ピノス農園としているコーヒー屋さんもある。2017年COE(Cup of Excellence)25位の豆だから、NWと書いてあるんだと思う。
 中浅煎りのコーヒーで、舌を包み込みようなやわらかい酸味がある。ほのかに梨とかサクランボを思わせる風味を感じる。初めのうちはちょっと酸味が強いようにも思ったけれど、慣れると、この豆の特長を生かすにはこれくらいの煎り方でちょうどいいんだと納得した。ペーパーフィルターで淹れるより、金属フィルターやフレンチプレスを使った方がおいしく仕上がると思う。店舗でペーパーで淹れた試飲用コーヒーが十分おいしく感じられたから購入したわけなんだけど。

丸美珈琲店

『Accomplice One』Tommy Emmanuel

 2018年。トミー・エマニュエル。
 アルバムタイトルからも想像できるとおり、10名を超えるアーティストとの16の共演曲を1枚に収めたアルバムである。カントリー、ブルーグラス寄りの曲が多いけれど、ブルース、ロックなども取り混ぜていて、歌ありインストゥルメンタルありの賑やかなアルバムだ。私の勉強不足もあって、知っているアーティストはデヴィッド・グリスマン、ブライアン・サットン、ジェイク・シマブクロなど数名しかいないし、知っている曲も『(sittin' on) the Dock of the Bay』とか『Purple Haze』など有名なものしかなかったけれど、どの曲もすごく楽しげに演奏しているのが伝わってきて、とてもいい。音楽ってやっぱりこうやって楽しまなきゃ、って感じにさせてくれる。
 トミーはふだんメイトンというメーカーのギターを使っているけれど、このアルバムでは、ギブスン、ウェイン・ヘンダースン、デヴィッド・テイラー、マーティン、ラリヴィーなど様々なギターを手に演奏していて、それらの音の違いを楽しむというのもいいかもしれない(私はそれらを聞き分ける耳を持っていませんが)。

2018年3月12日月曜日

『健康格差』NHKスペシャル取材班

 講談社現代新書。副題「あなたの寿命は社会が決める」。
 2016年9月19日に放送されたNHKスペシャル「私たちのこれから #健康格差~あなたに忍び寄る危機~」を書籍化したもの。
 病気になるのは自身の健康管理がなっていないためだ。つまり自己責任だ。などという意見も多く聞かれる昨今であるが、そうではない、との立場から本書は書かれている。 「低所得の人の死亡率は、高所得の人のおよそ3倍」と聞くと、どこか異国の話なのではないかと思ってしまうが、これは日本における2008年に発表された研究結果のひとつである。WHO(世界保健機関)は、健康格差を生み出しているのは、所得、地域、雇用形態、家族構成の4つであると指摘しているのだという。健康かどうかは、自己管理能力の低さではなく、生まれ育った環境や、就いた職業などによって決まるというのだ。
 この健康格差について、本書ではまず雇用や所得、さらには地域による格差を紹介する。そしてそのための打開策としてイギリスが行った食塩摂取量削減の取り組みとその効果や、東京都足立区における糖尿病対策を取り上げる。ここにおいて、不健康な人だけをターゲットにして対策をとる方法よりも、健康な人も健康でない人も関係なく、すべての人を対象にした対策であるポピュレーション・アプローチをとった方が、より有効な結果をもたらすということが示されていることは、なかなか興味深い。その他、番組内で行われた「健康格差」を巡る討論の再現や、著名研究者へのインタビューなどが収録されている。
 「健康格差」を放置していくことは、不健康な人だけでなく健康な人にとっても、しいては社会全体にとって不幸なことなのだということが、この本を読んでよくわかった。

2018年3月10日土曜日

『Camellia』Kyran and Flower Garden

 2017年。アーティスト名が「Kyran and Flower Garden」となっていたり、編集や演奏が「Kyran Daniel」となっていたりするけれど、キーラン・マーフィ(Kieran Murphy)のソロギター・アルバムである。本名が「Kieran Daniel Murphy」で、この数年、音楽に対する気持ちの上で大きな変化があり、表記も変えてみたということらしい(色々な情報を総合するとたぶんそういうことなんだと思う)。
 実際音楽的にはこれまでと大きく変わっており、今まではなんとなくトミー・エマニュエルっぽい感じが残っていたけれど、このアルバムは曲作りがクラシック寄りの印象がある。メロディアスな部分なんかはポップスの要素もあるにはあるけれど、トレモロを多用してみたり、伴奏のアルペジオの弾き方なんかがちょっぴりクラシカルなイメージを漂わせている。 音数はものすごく多いのに、決してうるさくもなくご機嫌な音楽でもない。むしろ、穏やかで落ち着いた雰囲気がある。この、やや哀愁のおびたしみじみとした感じが、また心に刺さる。キーラン・マーフィの新たな境地がこのアルバムには表れているといっては言いすぎか。

2018年3月7日水曜日

『日本史のツボ』本郷 和人

 文春新書。
 7つのツボを押さえれば日本史の流れは一気につかめるとして、天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済の7分野を取り上げ、それぞれについて古代から近代(近世くらい?)までをザーッと眺めている。
 なるほど確かにこのように歴史を見てみると、今まで点としてだけ存在していた歴史的事実が有機的につながって、ああ、そういうことだったのか、という気づきが得られる。ただ、中学校までしか歴史の勉強をしてこなかった私の拙い知識では、本書で取り上げられている「点」そのものですら知らないものが多く、それをさらに「線」につなげるということは、困難な作業だった。それぞれの「点」についてもっと深く取り上げてほしい。そういう思いに駆られることが多く、ちょっと消化不良に陥った。おそらく、この7分野をすべて網羅しておきながらも新書という軽い形式でむりやりまとめてしまったところに無理があったのではないか。7分野をそれぞれ分冊にして、それぞれについてもっと詳しく書いてくれてくれていたなら、もっと一層楽しめる本になったのではないかと思う。また、一部において通説とは異なる著者独自の視点も盛り込まれているので、歴史を楽しむというよりも歴史を学ぶ必要のある人は、注意して読んだ方がいいかもしれない。

2018年3月4日日曜日

『漓江翠蘭(2017)』遊茶

 りこうすいらん。中国の緑茶で、 広西チワン族自治区桂林が産地だと思う。たぶん白茶に使われることの多い福鼎大白茶種という品種を使って作られている。なぜこんなに自信がないかというと、今はもうこのお茶は遊茶では販売していなくて、まったく情報が得られないから。
 まろやかな強い甘さを持っている。ちょっともたっとした感じがないでもないけれど、おいしい。少し冷めてからの方が、より旨みを感じられるような気がする。茶葉はとても細くてちりぢりとしていて実際の量よりも嵩が多く見えるので、煎れるときは心持ち多めに急須(茶壺)に入れないと、とても薄いお茶になってしまう。初めて煎れたときは茶葉が少なすぎて失敗してしまった。

遊茶』東京都渋谷区神宮前 5-8-5

2018年3月3日土曜日

『When a Man Loves a Woman』Percy Sledge

 2014年。ただし、録音は1970年代。パーシー・スレッジ。
 石田ゆり子の出演していたキリン缶コーヒー、ファイアーのテレビCMで流れていた『When a Man Loves a Woman』(『男が女を愛する時』)を聴きたくて購入した。元々好きな曲だったのだが誰が歌っていたのかも知らず、調べてみたらパーシー・スレッジだった。とはいえ彼の名前も初めて聞いたのだけれど。1曲目に収録されているが、ちょっとCMで使われている録音とは違うような気がする。このアルバムはライブらしいので、いくつかバージョン違いがあるのかもしれない。できればCMと同じものが聴きたかったけれど、これはこれで悪くはない。
 このアルバムは前半が彼のヒット曲を集めたもので、後半が1975年のアルバム『I'll Be Your Everything』を収録している。ジャンル的には、ソウルとかR&B。パーシー・スレッジという名前は知らなかったものの、知っている曲(聴いたことのある曲)が多くてびっくりした。 表題曲の他、『Warm and Tender Love』、『Cover Me』、『Sudden Stop』、『My Special Prayer』、『I Believe in You』、『I'll Be Your Everything』など、どこで聴いたのかわからないけれど、耳にしたことのある曲がたくさんあった。親しみやすいメロディで、やわらかい高音のヴォイスが耳に残る。いや、この人の曲、とってもいいです。このアルバム、とても気に入りました。

2018年2月25日日曜日

『一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF』シェリー・タークル

 青土社。日暮雅通 訳。
 食事に出かけても、授業に出ていても、子供と遊んでいても、さらにはたったひとりで家にいるときでも、すぐにスマホに手を出してしまう。そこで失われてしまうものがある。そのうちの大きなものが、フェイス・トゥ・フェイス(FTF)の会話だという。著者は、原題『Reclaiming Conversation―The Power of Talk in a Digital Age』にあるように、会話の重要性について論じている。『一緒にいてもスマホ』という訳は、ちょっと違うニュアンスを感じる。
 本書は4つの椅子を軸に進んでいく。ヘンリー・デイヴィッド・ソロー が1845年に雑踏から逃れるために移り住んだ丸太小屋に設えられた3つの椅子、一つ目は孤独のための、二つ目は友情のための、そして三つ目は社交のためのこれらの椅子。さらに著者による四つ目の椅子。スマホは1人でじっくりと考え抜く時間を奪う。他人との会話においても、スマホに気をとられることで深い会話までたどり着かない。一緒にいる人との時間よりもスマホでつながっている遠くにいる人とのやりとりを優先する。それらの弊害について、数多くのインタビュー、研究を例にとり、検証していく。
 議論が深まらないというのはよくわかる。マルチタスクがいいものだという了解のあるこの世の中でもユニタスクには適わないという。でもそんなことよりも何よりも、フェイス・トゥ・フェイスの会話がなくなることで、共感能力が育たないということがとても恐ろしいことだと感じた。自分に向き合う時間もなく自分のことがわからない人たち、そしてその延長として他人の気持ちがわからない人たちが増産されていく。
 今では、Siriやスマートスピーカーなど、まるで人間のように反応をしてくれるロボットが浸透してきている。AIを使って精神科医の代わりを担うロボットまで開発されてきているという。これらは本当に人間の代わりになるというのだろうか。子供たちの子守としてロボットを与えることで、大きな人間的成長を奪うことにならないか。
 著者は今後のテクノロジーとの付き合い方に対して問題提起をし、会話の重要性を説く。決してスマホ等を否定しているわけではない。それらとどういう風に付き合っていけばいいのかについて提案しているのだ。今を生きる我々ひとりひとりが考えなければならない問題であるように思う。

2018年2月24日土曜日

『京都、二年坂にて』

 久しぶりの切り絵。京都の清水寺から産寧坂を下って、二年坂に入ってすぐ右側にある建物です。昨年京都に行ってからずっと切り絵にしたかった風景です。
 切り絵は白黒だけの表現方法ですが、写真を単純に白黒に2値化しただけでは絵にならないので、細部は実際のものとはかなり変えています。また、私の切り絵は最近はやっている繊細で細かいものではなく、昔からよくある武骨な部類に入るのだと思います。切り絵との出会いが小学校の時の滝平二郎だったからなのかもしれません。
 古都と切り絵は相性がいいような気がする。

2018年2月20日火曜日

『Hit the Ground Running』Newton Faulkner

 2017年。ニュートン・フォークナー。
 彼はギターがうまいことで有名だけれど、ピアノやドラムスも担当している。わりとハイテンポなロック系の音づくりだけど、音が詰め込まれすぎていなくて、適度な間の中ですべてのパートが粒立って立体的に聞こえるのがいい。ちょっとかすれ気味ながらもしっかりと芯のある彼の声も、バックと呼応するようにぴったりと息が合っている。
 前作『Human Love』と同じように、1作だけテッサ・ローズ・ジャクソン(Tessa Rose Jackson)とデュエットしている曲『So Long』があり、それもいい。彼女はこのほかにも数曲でピアノを弾いている。彼女のアルバムも気にはなっているのだけれど、amazonではCDとしては取り扱ってなくてデジタルのダウンロードしかできないので、まだ聴けていない(amazon musicの曲の音には以前悪い印象を持った経験があるので、今のところ購入する気になれない)。
 何だかちょっと横道に逸れてしまったけれど、前作よりもこのアルバムの方が全体的には気に入っている。

2018年2月19日月曜日

『MORIHICO.TSUTAYA美しが丘店』 アナログバージョン

 実は以前同じ構図でデジタルで描いて、このブログにアップしたことがある(こちらの記事)。でも何だか気に入らなくて、透明水彩で色を塗り直してみた。線画はまったく同じで、水彩紙に顔料インクで印刷したものの上に水彩を乗せた。こっちの方が私らしいなと思う。やっぱりアナログの方が性に合っている気がする。とはいえ、デジタルで絵を描くのは憧れなんですよね。
 このカフェは雰囲気がよくて好きです。コーヒーの味は苦め。森彦系列は全部そうだけど。

MORIHICO
『MORIHICO.TSUTAYA美しが丘店』北海道札幌市清田区美しが丘3条4丁目1番10号

2018年2月17日土曜日

『ホンジュラス・リサンドロ・ゴメス(2017)』横井珈琲

 Honduras Lizandro Gomez(スペルに自信がありません)。ホンジュラスのリサンドロ・ゴメス農園のコーヒーだと思うのだが、情報が少なく、間違っているかもしれない。
 まろやかな舌触りで、やわらかくて穏やかな味がする。あえて表現すれば、オレンジや青リンゴのような風味がないわけではないけれども、実のところあまり強い特徴を持つコーヒーではない。わりとあっさりとしたコーヒーで、苦味も酸味も少なめなので、ふだん飲みとしてごくごく飲んでしまえる。とても飲みやすい。

工房 横井珈琲

2018年2月11日日曜日

『Soft Landing』矢野 顕子

 2017年。
 ピアノ弾き語りアルバムとしては5作目となる。思い返すと、1作目の『Super Folk Song』からもう25年も経つ。私が矢野顕子の曲を初めて聴いたのが『Super Folk Song』というまさにそのアルバムに入っていた同名曲で、隣の部屋のテレビから流れてきたその曲を聴いて、え、こんな音楽ってありなの、という強烈な印象を受けたのを覚えている。本作の最後には『Super Folk Song Returned』という、それの続編に当たる曲が収められている。メロディは一緒で、歌詞は糸井重里が新たに書き起こしたものだ。
 このアルバムで矢野は、初めてベヒシュタインピアノを使って録音している。透明感があって聞こえるのはこのピアノのせいなのか、エンジニアである吉野金次のお陰なのか。
 全体的には奇をてらったような構成のややこしいアレンジはしておらず、聴きやすいアルバムだ。ただし、カヴァーとオリジナルが適度に混じっているが、(いつものことだが)カヴァーの原曲のイメージは矢野顕子節に変えられている。『Over』なんてサビに入るまでO.P.KINGの曲だと気づかなかった。この曲がカヴァーされていること自体驚きではあったが、矢野は曲を作ったYO-KINGのファンなのだそうだ。
 『Soft Landing』は「宇宙船がロケットエンジンの逆噴射で速力をおさえながらゆっくりと着陸すること」らしいが、なんだかアルバム全体がいい具合にやさしく、矢野のピアノと声からなるどこか違う世界の地面に着地したみたいだ。

2018年2月10日土曜日

『ワンダー☆ミュージアム 夜と出会う、夜を見る』北海道立近代美術館

 2017年11月22日~2018年4月12日。
 「夜」をテーマにした美術作品を集めた展覧会。子供も楽しめるように工夫されている。日本の作家によるものが多いけれど、マグリットやムンクなどもある。なかいれい(絵)とけーたろう(文)の絵本『おばけのマールとまるやまどうぶつえん』の原画が揃っていたのはうれしい。また、絵ではなく木による作品だが、砂澤ビッキの『樹華』も好きだった。いろいろな作品がある中でも一番よかったのは、富士翔太朗が札幌市立円山小学校の3、4年生316人と一緒に作ったインスタレーション『夜の国の光のオアシス』だった。三角形に描いた色とりどりの絵を組み合わせたピラミッド型の「光のオアシス」、六角形に描いたこれまた色とりどりの絵を組み合わせた「光の星」それぞれの中にある光源が、美術館内の周囲の壁にそれらの影を照らし出す。また、壁際に作られた「光の草原」にはそのままでは光がよく当たっていないのだけれど、それに向かって懐中電灯を照らしながら歩くことで、床や壁に草原の影がうごめく。光と影の織りなす素敵な空間が拡がっていて、そこに椅子とテーブルがあったとしたら、ずっとそこでコーヒーでも飲んでゆったりとした至福の時間を過ごしたいくらいだった。
 会場をそのまま2階に上がると、開館40周年記念第III期名品展が開かれており、当館のコレクションが展示されていた。エミール・ガレやルネ・ラリックらによるガラス器の数々や、ルオー、パスキン、ユトリロ、シャガール、キスリングらによる油絵の数々。こちらも見応えがあったが、今日は北海道立近代美術館内の展示を隅々まで観て回ることになったため、ちょっと疲れてしまって流し気味にしてしまった。体力不足が悔やまれる。

北海道立近代美術館』札幌市中央区北1条西17丁目

『棟方志功展』北海道立近代美術館

 2018年2月3日~3月25日。「わだば、ゴッホになる。」。
 ふくよかな女性や仏像などの力強い板画で有名な棟方志功の作品を展示している。今回の展覧会を観るまで知らなかったのだが、棟方は自分の「版画」のことを「板画」と呼んでいる。その辺の彼の思いなどにも触れられておもしろい。手のひらに乗るような小さな作品から、『大世界の柵・乾』や『大世界の柵・坤』のような27メートルを超える作品まである。板画の中に岡本かの子や宮沢賢治、吉井勇などの文を取り入れて、文字と絵からなる作品も多い。作品によって切れのある文字だったり丸みのある文字だったりと、雰囲気を変えているのも興味深い。裏彩色という方法で色づけられた板画もきれいだ。でもやっぱり私は仏の弟子を刷った初期の『二菩薩釈迦十大弟子』が好きだ。
 実はこの展覧会で展示されているのは板画だけではない。絵の世界に入り始めた頃の油絵(印象派からフォービズムにかけてのフランス絵画の影響が見られる)や、晩年ゴッホに敬意を示して描かれた「太陽花」(ひまわり)シリーズの油絵、日本画風の倭画、書、リトグラフまである。リトグラフは『セントルイス柏樹』『ニューヨークにて』の2作品が展示されていたが、モノクロの抽象的な造形は現代的な雰囲気を持っていて、つい見入ってしまった。
 後年の棟方は、自分の仕事は他愛のないものにしたいと語っていたそうだが、彼独得の線の強さは変わらずそのまま続いていったように思う。いい展覧会だった。

北海道立近代美術館』札幌市中央区北1条西17丁目

2018年2月8日木曜日

『無くならない―アートとデザインの間』佐藤 直樹

 晶文社。
 20年以上アートディレクターとして活動してきた著者は、「アートとデザインの間には深くて暗い川がある」と思っている。それはどんな川だというのだろうか。それがどんなものなのかどうか早く知りたい読者を尻目に、著者はマイペースでアートとデザインの間をたゆたう。著者はデザイン側の人間である。それが2012年頃から背丈以上の板に木炭で植物を書き始め、それをどんどんつなげていって今ではそれが100メートル以上にもなるのだという。これはデザインではない。ではこれはアートなのだろうか。
 前半は「絵画の入門」というテーマになっている。絵画とは何なのか。絵とは何なのか。悩みつつも少しずつ前に進んでいく。そうやって著者は絵画に近づいていく。それに対して後半は「デザインを考えない」というテーマになっており、デザインについて考えていく。そう、「デザインを考えない」としながら、思いっきりデザインについて考えている。タイトルと中身のギャップに戸惑うが、おそらくそのギャップが著者のデザインに対する思いを代弁している。最後に、小崎哲哉、大友良英、岸野雄一、細馬宏通との対談が掲載されている。この対談の中で、ようやくアートとデザインの間そのものに対する答えらしきものが提示される。でもそれが正解だとはわからない。著者も必ずしも正解だとは思っていないのではないか。
 アートとデザインの間。それに対する著者の独白に近い逡巡に付き合いながら、読者としてもアートとデザインの間に思いを巡らす。答えを見つけること自体ではなく、そうやって考えていくことこそが大事なのかもしれない。そういう思いを抱いた。

2018年2月4日日曜日

『Pickin'』Tommy Emmanuel & David Grisman

 2017年。トミー・エマニュエルとデヴィッド・グリスマンの共作アルバム。
 デヴィッド・グリスマンはマンドリン奏者で、このアルバムに収録されている12曲中10曲が彼の曲である。そしてトミー・エマニュエルはグリスマンから借りた1934年製のマーティン000-28のギターを使い、息の合った演奏を聴かせてくれる。2曲がトミーの曲である。ジャンル的にはブルーグラスの曲が多く、楽器がふたつしか使われていないのに賑やかでご機嫌な1枚になっている。フレーズを弾いているのは主にグリスマンの方である。とても楽しいアルバムだけれど、ちょっと音圧が足りない感じがして臨場感に欠けるのが惜しい。

『グアテマラ・エル・グアタロン(2017)』横井珈琲

 Guatemala El Guatalon。グアテマラのグアタロン農園のコーヒー。
 グアテマラといえば力強くガツンとした味の印象があるのだけれど、この豆は違う。やわらかく穏やかな苦味が口を覆う。口当たりがなめらかで、酸味もあまりなく中性的な感じで飲みやすい。ちょっと青リンゴっぽいかな。クセがないので、コーヒーが苦手な人でも抵抗が少ないんじゃないかと思う。

工房 横井珈琲

2018年2月3日土曜日

『はじめよう!アコギでブルース』野村 大輔

 リットーミュージック・ムック。
 ブルースの基本、ブルース流のアコギ・テクニック、アコギで弾く実践フレーズなどについて書かれている。12小節のコード進行だとかセブンスコードの押さえ方とか、マイナー・ペンタのこととか、ごく基本的なところから入っている。テクニックにしてもそんなに難しい話はしていないし、実践フレーズも、まあよくある短いフレーズがちょっと挙げられているくらいだ。ブルースを弾いたことのない初学者向けのムックと考えた方がいいだろう。ブルース演奏経験のある人は、もうちょっと硬派な学習書を選んだ方がやりがいがあると思う。

2018年1月29日月曜日

『Garden of the Light』Kieran Murphy

 2011年。キーラン・マーフィによる3枚目のソロギター・アルバム。
 穏やかに奏でていたり、ファンキーに弾いていたり、激しくかき鳴らしていたり、また、小曲から長い曲までいろいろと20曲収録されている。そのどれもが音が立っていて、立体感にあふれており、ギターの生音がすごく気持ちいい。強弱というかリズムというかそういうのが絶妙で、とってもグルーヴィーな音楽を聴かせてくれる。ギターの音は決してきれいな音ではなく、むしろちょっととんがった雑音の混ざった音だったりするのだけれど、それが逆にライヴ感を漂わせていてとてもいい。何といっても味がある。このアルバム、大好きです。