2017年8月20日日曜日

『巌茶白鷄冠(2016)』遊茶

 がんちゃはっけいかん。
 中国の青茶(烏龍茶系のお茶)。一般には「岩茶白鷄冠」と書かれることが多いと思う。武夷岩茶(ぶいがんちゃ)で、そのうちでも特に優れていると言われる4種(武夷四大名欉)のうちのひとつ。青茶といっても見た目が青っぽいものから濃い茶色のものまであるけれど、岩茶は黒っぽい色をしていて発酵度が高い。「白鶏冠」という名前は、若葉が白っぽくて先端だけが赤いとか、茶葉のまわりだけが白くてギザギザしているからとか諸説あるものの、とにかく鳥のトサカのように見えるからという理由でつけられたらしい。どっしりとした甘く深みのある岩韻がたまらなく、中国の悠久とした時の流れに身を置いたようで気持ちがゆったりとしてくる。久しぶりに二胡のアルバムを流して、シトラス系のお香を焚いているのも一役買っているのかもしれないが。ちなみにこのお茶は10年以上も後熟させたビンテージものなのだという。

遊茶』東京都渋谷区神宮前5-8-5

2017年8月19日土曜日

『Overseas』Tommy Flanagan Trio

 1957年、ストックホルムでの録音。トミー・フラナガン(p)、ウィルバー・リトル(b, Wilbur Little)、エルヴィン・ジョーンズ(ds, Elvin Jones)。
 リリカルで流れるようなピアノにバランスよくベースとドラムスが絡まって、いい感じにスウィングしている。肩肘張らない感じで、とても聴きやすい。一応名盤とされているアルバムらしくて、そのせいかなんだか聞いたことのある曲ばかりが入っている。「Relaxin' at Camarillo」、「Chelsea Bridge」、「Eclypso」、「Beat's Up」等々。喫茶店とかでもよくかかっているんだろうな。名脇役として有名なトミー・フラナガンらしく、出しゃばりすぎずトリオとしての完成度を高めてる感じがする。

2017年8月12日土曜日

『Until』Lotte Kestner

 2013年。ロッテ・ケストナー。
 トレスパッサーズ・ウィリアム(Trespassers William)のヴォーカリストだったアンナ・リン・ウィリアムズ(Anna-Lynne Williams)のソロ・プロジェクト。ギターのアルペジオに淡々と歌を重ねていくようなシンプルなアレンジの曲がほとんどを占める。まるで会話の延長のように木訥と語りかけてくる彼女の歌声に、そんなバックの演奏がぴったりはまっている。1日の仕事が終わってネットサーフィンでもしながらゆったりしているときに、部屋のもう一方の片隅でさりげなく弾き語っているのを聴いているみたいで、なんだかほっとする。

2017年8月11日金曜日

『アマルティア・セン講義 経済学と倫理学』アマルティア・セン

 ちくま学芸文庫。徳永澄憲、松本保美、青山治城 訳。
 本書は、アマルティア・センが1986年4月に行ったカリフォルニア大学バークレー校でのロイヤー講義の内容をまとめたものである。
 例えば選択間の内部的整合性だったり自己利益の最大化といったふうに、人間は合理的に行動するものだという主流の経済学の考え方はちょっと違うんじゃないか。そこに倫理学的思考を入れることで、経済学はもっと現実に即したものになるんじゃないか、と著者は考えている。そんな著者の思想を全体的に俯瞰して解説しているのが本書である。
 ただ、私には難しかった。著者が言いたいことが難しいからではなく、専門用語がよくわからなかったからだと思う。実証主義経済学、厚生主義経済学、一般均衡理論、結果主義、功利主義、厚生主義…。これらがなんとなくでもイメージできる程度の素養がなければ、彼のいいたいことを本当に理解するのは困難なのではないか。逆にそれらの基礎的な経済学の素養を持っている人であれば、この本を面白く読めるのではないかと思った。出直してきます。

2017年8月5日土曜日

『第32回北の日本画展』大丸藤井セントラルスカイホールギャラリー

 2017年8月1~6日。1985年に創立した北海道を中心に活動する日本画作家のグループ展。
 実のところ私は日本画とはなんなのかよくわからない。明治期に洋画と区別するために「日本画」という呼称がつけられたらしいということは、ネットを調べてわかった。江戸以前の日本の画家の描いたものは日本画とは呼ばないこともわかった。しかし岩絵の具や和紙を使えば全部日本画と呼んでいいものなのかどうか、私にはよくわからない。日本画ってなんなんだろう。
 とか思いながらこの展覧会を観にいった。具象ばかりでなく抽象画もある。メルヘンチックなのもある。輪郭があるものもあればないものもある。ああ、これって日本っぽいなと思うのももちろん多いけれど、全然そうでないものもある。当然のことながら好きな絵もあればそうでない絵もある。日本画って幅広いなと思った。これらの絵の中では、粉を吹いたような白っぽい絵が気になった。油絵やアクリル画、あるいは水彩画などでもこのような表現は可能なのだろうか。
 今後も日本画を観る機会があれば行ってみようか。

大丸藤井セントラルスカイホールギャラリー』札幌市中央区南1条西3丁目2

2017年8月4日金曜日

『〈象徴形式〉としての遠近法』エルヴィン・パノフスキー

 ちくま学芸文庫。木田元監訳。川戸れい子、上村清雄訳。
 遠近法で絵を描くということはごく当たり前のこととして、なんの疑いもなくそれを受け入れてきた(最近の私の絵は遠近法に従っていないものも多いのはさておき)。でもこの本に書かれているように、言われてみるとギリシャとかルネサンスとかの時代時代において、必ずしも今と同じような平面遠近法を使って絵を描いていたわけでもないし、それが受け入れられていたわけでもない。目で見えるように描くということと遠近法を使って描くということがイコールでつながると当然のように思っていたのだけれど、それはイコールではなかったということは、驚きだった。我々は世界を写真のように見ているつもりでいるけれど、実はそのようには見えていない。また、実際に個人が見ているように空間を構成することは、ものの本質を個に還元してしまっているという理由で、間違っていると考えていた時代もあったということも初めて知った。ギリシャ時代から今にいたるまで、画家や建築家たちが遠近法とどのように向き合い、その遠近法がどのように変遷してきたのか、豊富な例によって真に迫る論考をしている。本書のうち本文は3分の1程度で、あとは注と図版であるが、とても読み甲斐があって面白かった。