2015年3月29日日曜日

『DAWで曲を作る時にプロが実際に行なっていること』山口哲一 監修

 Rittor Music。
 12人のプロのアーティストがどのようにDAW(Digital Audio Workstation)と関わり、どうやって曲を作っているのか紹介している。DAW上で実際にどんなテンプレートを立ち上げ、どんなソフトや機材を使ってどのように曲を組み立てているのか、作曲のコツ、DAWに使われないための心得、DAWに頼らない曲作りなど、プロのやり方、そして考え方がいろいろ載っている。
 曲の作り方って人によってこんなに違うんだ。さらにいえばこんなに違っていいんだ、と思った。Aメロから作る人、サビから作る人、メロディよりも前に他のトラックを作り込む人、打ち込みに徹する人、生音にこだわる人・・・。人によってはまるで反対のことを主張していたりする。この自由さを知れたことはとてもよかった。仮歌や仮歌詞があるなんてことも知らないほどのド素人ではあるけれど、読んでいて楽しかった。ソフトの名前も機材の名前も知らないものばかりだったけれど、おもしろかった。DAWではマイク録りのアコギの音の編集に毛の生えた程度のことしかしたことがなかったけれど、もっと手を広げていろんな音を混ぜ込みたくなった。
 細かいテクニックとかそういう小さなことはほとんど書かれていないけれど、いい本だと思った。

『小さな春』

 庭というにはあまりに小さすぎるそのスペースのそのまた隅の方で、枯れ草を押しのけるように咲いている福寿草。
 北国にもようやく春が訪れた。

2015年3月28日土曜日

『Soultrane』John Coltrane

 1958年の録音。
 ジョン・コルトレーン(ts)、レッド・ガーランド(Red Garland, p)、ポール・チェンバース(Paul Chambers, b)、アート・テイラー(Arthur Taylor, ds)。
 アップテンポな曲とかバラードとかがバランスよく入っている。『Good Bait』とか『I Want To Talk About You』、『Russian Lullaby』など、なんだかいつも聴いている感じがする。この雰囲気はなんか知ってる。カフェとかで流れていることが多いんだろうか。とても好きなアルバム。基本的にジョン・コルトレーンのサックスは好き。ピアノをはじめとしたサポートももちろんいいのですが。
 でも、このアルバムをかけて読書をしたりパソコンをしたりしていると、気づかぬうちに最後の曲が終わっている。作業に集中できるというか、完全にBGM化しているというか。聴きなれすぎてしまっているのかも。

2015年3月27日金曜日

『データはウソをつく』谷岡 一郎

 ちくまプリマ-新書。副題『科学的な社会調査の方法』。
 著者は以前『「社会調査」のウソ』私の記事)という本を書き、その中でアンケートや調査でやってはいけないことをこれでもかというくらいズバズバと指摘していた。本書はいわばその続編で、やってはいけないことはわかったから、ではどうすればいいのか、ということを書いた本である。
 前書ほど言いたい放題という感じはしないけれど、それでも鋭い指摘を随所に織り込んでいる。非科学的な社会調査に対する態度は厳しい。その上で科学的な社会調査をするにはどういう手順を踏んでどういうことに気をつけておかなければならないのかを解説する。アンケートの質問票の作り方だとか、その結果の解析の仕方だとかを、たまに毒を入れながらもやさしく説明している。時折交じるいしいひさいちの4コマ漫画がいい息抜きにもなる(この漫画自体毒を含んでいるが、思わずニヤッとさせるところがにくい)。
 前書と併せて読むと、社会調査の入門という点でいいかもしれない。ただ、内容的にはちょっと物足りない気がした。科学とは何かということや社会科学の方法論など、もう少し突っ込んでもよかったのではないかと思う。何だか伝えたいことを端折っている感があった。実際に社会調査を行う予定の人は、違う専門書にも当たっておいた方がいいだろう(当たり前のことかもしれないけれど)。

『ルワンダ・ギスマ』横井珈琲

 Rwanda Gisuma。「ギスマ」は、地区名でありウォッシングステーションの名前でもある。アフリカの小国ルワンダのコーヒー。
 ちょっと酸味が強め。若いナッツの雰囲気の中に、キャラメルやハチミツのような風味が口を楽しませる。淹れ立てでもなめし革のような滑らかさがあるが、冷めてくるとそれが際立ってくる。これは酸味の中に含まれる豊かな風味が特徴的なコーヒー。昔はコーヒーは苦くなければおいしくないと感じていたのだが、最近は酸味の中にこそそれぞれのコーヒーの特徴が現れるんじゃないかと感じてきた。このごろはそんな酸味を楽しみながらコーヒーを飲んでいる。

工房 横井珈琲』札幌市西区発寒9条11丁目2-11(地図

2015年3月21日土曜日

『言語学の教室』西村義樹、野矢茂樹

 中公新書。副題『哲学者と学ぶ認知言語学』。
 「雨に降られた」、「彼女に泣かれた」という言い方はするのに、「昨日、財布に落ちられた」はどうしておかしく聞こえるんだろう。「死なせた」と「死なれた」はどう違うんだろう。そんな言語についてのさまざまな疑問をだしにして、認知言語学者の西村が先生となり、哲学者の野矢が生徒となって対談を繰り広げる。一応先生と生徒ということにはなっているが、野矢の繰り出す質問や意見はなかなか鋭いところをついてくるので、西村がたじたじとなってしまう場面も多々ある。そんな丁々発止のやりとりがまたおもしろい。
 認知言語学は1980年代に生まれた比較的新しい言語学なのだという。ソシュールに始まった現代の言語学はチョムスキーの生成文法に至り、そしてその後認知言語学が生まれる。その流れは継承ではなく対立や発展といった方がいいのかもしれないけれど、とにかくそういう歴史がある。 本書の内容も、生成文法と認知言語学との言語に対する考え方の違いを浮かび上がらせて説明する場面が多い。例えば、文法と、その文が表す意味やそれを発する人の心の動きとの関係をどう捉えるかといったような違いである。
 話題は、文法、意味、受身、使役、メトニミー(換喩)、メタファー(隠喩)などを取り上げている。例えば「村上春樹を読んでいる」とか「夜の底が白くなった」という文をどう解釈するかなど、言われてみるとおもしろい。しかし、認知言語学の議論は興味深いと感じた一方、雲をつかむような捉えどころのなさも感じた。言語学って難しいなと。

『こんにちは、はじまり。』空気公団

 2015年。
 聴き始めの頃は、2、3の苦手な曲ばかりが耳について好きになれなかった。でも何度か聴いているとそれらの曲もあまり気にならなくなってきて、そのほかの曲はわりと好きなことに気がついた。フォーキーな感じというか小田和正的な雰囲気もちょっとある『連続』とか『毎日が過ぎても』なんていうのは本当に好きで、『苦い珈琲の言い分』とか『新しい窓』などもいい。空気公団の作る曲の歌詞は情報量がとても少ないように感じるのだけれど、その少ない情報量の中に含みもつ余韻というか拡がりというかそんな空気感はとても大きくて、気がつくとその空間の中に身をゆだねている自分がいる。しつこすぎない伴奏やメロディ、そして山崎ゆかりの声もまたそういった雰囲気をつくっているパーツのひとつなんだろうなと思う。
 それにしてもこのジャケットのデザインはどうしてこんなになってしまったんだろう。

2015年3月18日水曜日

『Afternoon Tea』LUPICIA

 アフタヌーンティー。
 どこか遠くのリゾートホテルに行って、贅沢な時間の一部を午後の紅茶の時間に充てる。サンドイッチやスコーン、プチケーキなどとともに。そんな利用の仕方しかしたことのないアフタヌーンティーだけれど、本場のイギリスではもっとふだんの生活に寄り添った習慣なのかもしれない。この紅茶を飲んで、まだ訪れたことのない国のことを考えてみた。
 アッサムをベースにダージリンを合わせて、ミルクティー向きにしたブレンドだという。水色が濃くて、味もしっかりとしている。アッサムはあまり得意なお茶ではないけれど、ダージリンが混じっているせいかわりと飲みやすい。ちょっと枯れたような味がするのは、きっと購入してから大分時間が経ってしまったからなんだろう。ブレンド名はちょっと気取っているけれど、気軽に紅茶を楽しむのにちょうどいい。

LUPICIA

2015年3月14日土曜日

『Virtuoso #2』Joe Pass

 1976年の録音。
 ギター1本だけのジャズアルバム。ジョー・パスは「Virtuoso」シリーズを4枚出していて、これが2枚目。1枚目が気に入ったので、順番に聴こうと思っている。
 前作『Virtuoso』は生っぽい音で渋く奏でていたが、このアルバムは電気を通してエレキっぽい音で(と言ってもジャズギターの音だけど)弾いている。ジャズギターというとこっちの方が馴染みがある。音の選び方とかリズムが絶妙で、静かではあるんだけど(ギター1本だけだし、ジャカジャカ弾いてるわけではないので)、スピーカーから流れる空間がとても豊かな感じに変わる気がする。かといって押しつけがましさが全然ないので、ずっとかけ流していても邪魔にならない。昔、ジャズは受験生にはよくないなんて話を聞いたことがあるけれど、これなら聴きながら勉強してもいいと思う。

『ブラジル・サマンバイア・カチグア/ナチュラル』横井珈琲

 Brazil Samambaia Catiguá。ブラジルのサマンバイア農園のコーヒー。カチグアは品種で、ナチュラルは豆の処理方法。
 チョコやナッツの風味。なんか濃厚なグレープフルーツみたいな味も感じる。ブラジルは軽い中性的なコーヒーが多いイメージがあるけれど、これはナチュラルという処理をしているせいか、結構特徴がある。とてもフルーティで、豊かな風味が口の中に広がる。味がしっかりとしているのがいい。苦味とか酸味とかじゃなくて、ナチュラルっぽさを感じて楽しむのがいいのだと思う。

工房 横井珈琲』札幌市西区発寒9条11丁目2-11(地図

2015年3月7日土曜日

『卵のように軽やかに』エリック・サティ

 ちくま学芸文庫。副題『サティによるサティ』。秋山邦春、岩佐鉄男 編訳。
 外はもう日が暮れて人の流れもばらばらになり始めた書店で何とはなしにぶらついていたら、「サティ」という文字と「卵のように軽やかに」というとても心躍らされるタイトルが目に飛び込んできた。そしてそれを手にとってパラパラとページをめくっていると、なんと店内にはサティによる『ジムノペディ』が流れ始めたではないか。こんな偶然ってあるんだろうか。これは読まなければならないと思った。
 内容は、サティによるメモやいたずら書き、書簡、講演原稿、楽譜の隙間を埋めるように書かれた詩編(?)、音楽論、戯曲などからなっている。時代背景がわからないとよく理解できないものも多いし、皮肉なのか諧謔なのかジョークなのか当てこすりなのかもよくわからない断片も多く、半分も理解できなかったような気がする。それでもなぜかおもしろくて楽しい。『乾からびた胎児』だとか『<犬のための>ぶよぶよした前奏曲』だとか独特のセンスで名付けられた数々の楽曲と同じく、この本にあるサティの文章も、なんだかふわふわとして捉えどころがないようでいて時として辛辣な鋭さも持ち合わせていて、つい引き込まれてしまう。サティの生きた19世紀の終わりから20世紀初頭のフランスは、音楽だけじゃなく絵画や文学、舞台などさまざまな分野において私の興味をそそる。彼ら芸術家たちの生活は決して楽だったわけではないのだろうけれど、とても魅力的に見える。ルノワールの『ムーラン・ド・ギャレット』みたいな華やかさと同居している芸術家たちの光と影。しばらく忘れかけていたこの時代への興味をまた思い出させてくれた一冊。

2015年3月1日日曜日

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』三菱一号館美術館

 2015年2月7日~5月24日。『~アメリカ合衆国が誇る印象派コレクションから。私の印象派。』。
 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の印象派の作品を集めた展覧会。モネ、ルノワール、ドガ、ゴッホなど、人気作品が並ぶ。作品数はそんなには多くないのだが、見所が多すぎてお腹がいっぱいになる。というか、この前に東京都美術館で新印象派の絵をたくさん観てきたあとだったのも効いている。午前中だけで2つの展覧会を観るのは無理があった。そのせいで、こちらはちょっと流し気味になってしまった。もったいない。
 それはともかく、いいです。何となくルノワールの作品群が人気があるんじゃないかなと思った。でも私が好きだったのは、静謐さの中にも強さが感じられるベルト・モリゾの『窓辺にいる画家の姉』、肉感的な生々しさのあるポール・セザンヌの『牛乳入れと果物のある静物』、現代的ですっきりとしたデザインを感じさせるピエール・ボナールの『革命記念日のパリ、パルマ街』、緑とオレンジの対比が印象的な存在感のあるポール・ゴーギャンの『カリエールに捧げる自画像』などの作品だった。
 それにしてもこの美術館は雰囲気がいい。

三菱一号館美術館』東京都千代田区丸の内2-6-2

『新印象派-光と色のドラマ』東京都美術館

 2015年1月24日~3月29日。
 新印象派といえば、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックがすぐ脳裏に浮かぶ。1880年代半ばから1900年初めにかけて活躍した画家たちだ。光、あるいは色を分割して点描で描く手法をとったことで有名だ。それは当時最新の光学や色彩理論に基づいている。この展覧会では、これら新印象派の絵と、その後のフォービズムにつながる絵を展示している。
 やわらかい雰囲気の絵が多く、私の好きなタイプの絵ばかりで楽しめた。前出の2人以外の有名どころでは、カミーユ・ピサロやベルト・モリゾの作品に好きなものが多かった。勉強不足であまり聞いたことがない画家なのにとても好きな作品も結構あった。ルイ・アイエ、アンリ=エドモン・クロス、マクシミリアン・リュス、テオ・ファン・レイセルベルヘ、アシール・ロジェといった画家たちだ。 画面の明るさとやわらかさが印象的だった。朝一番で並んだ甲斐があった。

東京都美術館』東京都台東区上野公園8-36

『「社会調査」のウソ』谷岡 一郎

 文春新書。副題『リサーチ・リテラシーのすすめ』。
 世の中には社会調査があふれている。新聞や雑誌などのマスコミによるもの、大学などの研究者によるもの、社会運動グループによるもの、官公庁などの役所によるもの等々。ところが著者が言うには、その中の過半数がゴミ(ずさんな調査)なのだという。そしてそれらのゴミに対して、実名を挙げて情け容赦ない批判を繰り広げる。この本はとても刺激的だ。しかし、著者はただゴミをなくしたいだけなのだ。だからゴミが出るメカニズムを分析し、どうやったらゴミを減らせるのか考察し、さらにはゴミときちんとした調査とをどうやったら見分けることができるのかということについて解説する。
 選挙報道、食物と癌の関係、少年犯罪の推移……。そんなさまざまな調査報道を、私たちはなんの疑問も抱くことなしに鵜呑みにしていないだろうか。私たちは知らず知らずのうちに嘘の情報をすり込まれているかもしれない。本書はそんな読者の目を覚ます啓蒙の書でもある。