2014年4月27日日曜日

『ミュシャ展』北海道立近代美術館

 2014年4月5日~6月15日。Alphonse Mucha。副題『パリの夢 モラヴィアの祈り』。
 アール・ヌーヴォーの華ともいえるミュシャ。ミュシャというと、縦長の画面に花や植物、幾何学模様を背景に、女性がポーズを取っているポスターのイメージが強い。例えば大きな評判を呼んだ、サラ・ベルナールを主題に添えた『ジスモンダ』などがそうだ。四季や芸術、宝石などをテーマにした作品群を思い浮かべる人も多いかもしれない。
 でも、ポスターだけがミュシャではないんだ、ということを、この展覧会は教えてくれた。アール・ヌーヴォー調のポスターのほか、『ヤロスロヴァの肖像』や『百合の聖母』などの油彩、舞台の衣装デザイン、本の挿絵、お菓子の缶のデザインなど、240点にのぼる作品が展示されている。ボスニア伝説や戦争をテーマとした、暗い作品もある。それら膨大な作品の中でも目を引いたのは、スラヴ民族の歴史を20枚の作品にまとめた一連の『スラヴ叙事詩』である。残念なことに完成作品の展示はなかったものの、巨大な習作や下絵の数々から、その壮大さというかすごさが、ひしひしと伝わってきた。いつか実物を見てみたいと思った。
 様式化されたポスターがミュシャの魅力の主役であることは確かであろうが、そうじゃない素顔のミュシャがほかにもいて、それらの魅力も捨てがたいということを確かに教わった展覧会だった。

2014年4月26日土曜日

『理不尽な人に克つ方法』援川 聡

 小学館新書。
 ヤクザなどの反社会的集団を「ブラック・モンスター」と名付けるとしたら、身近な人がモンスター化した場合は「ホワイト・モンスター」と言えるだろう。その「ホワイト・モンスター」、つまり「理不尽な人」とどうやってつきあっていけばよいのかについて、やさしい語り口で自身の経験に基づき教えてくれる。ただ、個人的には著者のいう「ホワイト・モンスター」と「理不尽な人」はイコールでは繋がらないのだと思う。この本で書かれていることは、「ホワイト・モンスターに克つ方法」である。
 著者は、ホワイト・モンスターを更生させようなんて気はさらさらない。ホワイト・モンスターになってしまった人をどういなしていくか、その人を前にしてどう立ち回るか、そんな視点で書いている。また、確かにモンスター化した人に打ち克つ方法も書いてあるけれど、どちらかというと、モンスター化させないための方策の方が大事だと考えているような印象を受ける。その点、タイトルのように「理不尽な人に克つ方法」に重きをなしているようには思えない。でも、このモンスター化させないということはとても大事で、本人にとってもまわりの人にとっても平和な解決策なんだと思う。また、誰もがホワイト・モンスターになり得るということは心しておかなければならない。半沢直樹はモンスター化してしまっているというのだから。

『飛ばしていくよ』矢野 顕子

 2014年。
 音がすごくいいと思う。テクノポップっぽいイメージの曲が多く、昔から馴染みのある矢野顕子が聴ける気がする。換骨奪胎ぶりがすばらしいオフコースの『YES-YES-YES』、セルフカヴァーの『電話線』、『在広東少年』など懐かしい曲もある。効果的な変拍子でドライブがかかった表題曲『飛ばしていくよ』、かわいらしい感じの『リラックマのわたし』、『ごはんとおかず』、キャッチーなフレーズが頭から離れなくなる『ISETAN-TAN-TAN』。ファンにとっては吉田美奈子に楽曲提供した『かたおもい』の初セルフカヴァーなんかも惹かれるかもしれない。いいと思う。

2014年4月15日火曜日

『反哲学入門』木田 元

 新潮文庫。
 一般に「哲学」の名で呼ばれているものには2種類あって、その2つをごっちゃに考えるから哲学は難しくなる。神とか、プラトンのいうイデアだとかの超自然的な存在を想定して考える超自然的思考としての「哲学」と、そうではないいわば自然思考としての「反哲学」は別のものだ。だからプラトンあたりからニーチェの手前までの「哲学」と、その「哲学」を批判し解体しようとしたニーチェ以降の「反哲学」は分けて考えなければならない。日本人は超自然的思考はしてこなかったから、「哲学」はよくわからないかもしれないが、「反哲学」ならば理解可能だろう。著者はそういったことを述べている。
 ただしこの「反哲学」という単語が著者独自のものとして使われているのか、それともそういう用語がこの世の中できちんと定義されているのかどうかがよくわからない。例えば本書の中で、ハイデガーの思索の営みをはっきりと「反哲学」と呼んだのはメルロ=ポンティだ、みたいなことが書かれているので、この単語は確かに存在するのであろうが、これと木田のいう「反哲学」が同じものなのかどうかが今ひとつはっきりしない。
 そんなもやもやを心に抱きながらこの本を読んではいたのだが、実のところ結構楽しめた。著者のいう超自然的思考としての「哲学」の歴史もわりと詳しく書かれているので、ギリシャ以降ハイデガーまでの哲学史として本書を読んでもおもしろい。アウグスティヌスやトマス・アクィナスなどのキリスト教神学とプラトン、アリストテレスとの関連性など、ふだんキリスト教とは縁のない私でも興味深かった。
 ただ本当に著者のいうように「反哲学」なら日本人にとっても理解しやすいといえるのだろうか。私などはプラトンのイデアだとかデカルトなどの超自然的思考にとても魅力を感じてしまうので、その辺の著者の言い分には素直に頷けなかった。まあ、哲学に対する好みも人それぞれなので目くじらを立てるほどのことでもないのだが。全体的には哲学史としておもしろい本だと思う。

2014年4月13日日曜日

『2014 さくら』森彦

 ほんの2、3日前には雪が積もったけれどまだ札幌は雪がなくなったばかりで、桜が咲くのはもうちょっと先のことだけれど、市内の珈琲店には「桜」をテーマにしたブレンドが並ぶようになった。この『森彦』のコーヒーもそのひとつだ。
 店では中煎りと説明しているけれど、一般には深煎りの部類に入れてもいいんじゃないかくらいの焙煎度合いではある。でも酸味も残っていて、焙煎による苦味と相俟ってちょっとした刺激を舌に与えて、かすかに感じる甘みとともに味に立体感を与えている。コクもあって口の中全体で味を楽しめるおいしいコーヒーである。飲んだあとに舌の奥に感じる余韻も心地よい。ただ私の想像する桜の花のイメージとはギャップがあって、このコーヒーの力強さは、花よりもむしろ幹を覆う樹皮のイメージに近い。そのギャップを気にしなければ、十分においしく楽しめるコーヒーである。

森彦

2014年4月12日土曜日

『Spazieren』Henning Schmiedt

 2011年。ヘニング・シュミート。ドイツのピアニストによるピアノソロアルバム。全曲彼の手によるもの。
 クラシックでもなくジャズでもないピアノソロアルバムを購入したのは初めてかもしれない。あらかじめ視聴したわけでもないのに、ジャケットの写真がなんだか心を休めてくれそうな気がして、つい手にしてしまった。あとになってアルバムタイトルの『Spazieren』がドイツ語の「散歩」という意味の単語だと知って、なるほどと思った。緑が豊かになり始めた公園の中をゆったりと散歩している、そんな雰囲気にぴったりの、さわやかでゆったりとした曲が詰まっている。ひとつひとつの曲は2分程度と短いのにそんな感じは微塵もさせず、アルバムを通してひとつの作品のような印象を持たせられる。これをかけていると、とても落ち着いた気分になる。好きな音楽家がまた増えた予感。

『Badamtam FTGFOP1 2013-DJ21』LUPICIA

 バダンタン。ダージリン・ウエストにある、インドのダージリン茶園。「バダンタン」とは現地の言葉で「アーモンド」の意味らしい。
 昨年の春摘み紅茶。もうそろそろ今年のファーストフラッシュが出てくるから、慌てて飲んでいる。でも全然古くさくないんですよね。キレがあってさわやかで、春摘み特有の若さにあふれている。味もしっかりしていて、この紅茶はおいしい。とても気に入りました。

LUPICIA

2014年4月5日土曜日

『モチーフで読む美術史』宮下 規久朗

 ちくま文庫。
 絵画作品のなかに何気なく描かれたように見える犬やウサギなどの動物、パンやチーズなどの食物、矢や天秤などの小物。これらはすべて何気なく描き加えられたのではなく、明確な意図を持って画面に加えられた。そんなモチーフにスポットを当てて絵画を読み解いているのが本書である。
 ひとつのモチーフについて見開きで説明し、ページをめくった見開きにはその説明の中で取り上げられた作品の図版が掲載されている。説明は簡潔明快で読みやすく、図版を探して迷子になることもない。実にストレスフリーな解説本である。こうした図像学を扱った本は西洋美術を取り上げることが多いように思うが、この本は西洋にとどまらず、日本を初めとする東洋の美術も多く扱っている。これらの知識があると、美術を観るときの印象も変わってくる。とてもわかりやすく、ためになる本。

『Tales from the Realm of the Queen of Pentacles』Suzanne Vega

 2014年。邦題『ペンタクルの女王の物語』。スザンヌ・ヴェガ。
 今までの彼女のイメージとはちょっと違って、随分とロック色の強いアルバムだなと思った。でもよく聴いてみると『I Never Wear White』こそロックロックしているけれど、それ以外はそんなに激しいわけでもない。この曲のイメージがあまりにも強すぎるのか、それとも私が気づかないだけでアルバム全体がロックテイストをまとっているのかどちらかなのだと思う。フォーキーでギターアルペジオのきれいな『Portrait of the Knight of Wands』や、従来の彼女のイメージに合う『Fool's Complaint』『Silver Bridge』『Horizon (There Is A Road)』のような好きな曲もあるものも、全体的にはあまり好きなアルバムではない。
 なお、帯の記述によると、このアルバムが描くのは「物質社会と精神世界、そしてそれらがいかにして交差するのかについての物語」だそうだ。

『ラファエル前派展』森アーツセンターギャラリー

 2014年1月25日~4月6日。
 印象的だったのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』に代表される、自然をそのまま写し取ったかのような鮮やかな色彩と緻密さからなる作品の数々である。まるで写真のような色は真に迫っていて、鑑賞者を圧倒させる。自然をありのままに再現するというのは、当時スキャンダラスだとさえいわれたラファエル前派を擁護した美術批評家ジョン・ラスキンの主張でもあった。おそらくは彼の擁護のお陰もあって、ラファエル前派はここまで受け入れられるようにもなったのであろう。それにしても、どこがスキャンダラスだったのかということについては、現代に生きる私のような人間にはちょっとわかりにくい。ラファエル前派は、当時ラファエロを規範とした保守的なアカデミズムに反旗を翻して、ラファエロ以前、例えば中世や初期ルネッサンスの絵画を範とすべく結成されたという。それがいかにスキャンダラスなことだったのかということが私には今ひとつピンとこない。キリストを描くときに、理想化された姿ではなくあまりに卑俗に描いたというのはその理由のひとつかもしれないが、それが核心だったというわけではないだろう。おそらく私の生きている現代の芸術は何でもありの時代なのだ。例えば最近美術界でスキャンダルを巻き起こしたといえば、会田誠の絵画くらいしか思い浮かばない。19世紀には美術とはこうあるべきという確固たる基準があったのに対し、今はその枠が大きく拡がり、美術の範疇が曖昧になってきているのではないか。現代は逆に新しい美術を生み出すことにこそ価値がある、という考えが主流になってきているといえるのだと思う。個人的には新しくなくたっていいものはいいと思うのではあるが。
 この展覧会の見所は、前出の『オフィーリア』のほか、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの『ベアタ・ベアトリクス』 『プロセルピナ』、エドワード・バーン=ジョーンズの『「愛」に導かれる巡礼』などだと思う。ほかにはヘンリー・ウォリスの小品『シェイクスピアが生まれた部屋』なども好きだった。