2011年11月27日日曜日

『プレリュード』村治 佳織

 2011年。『Prelude』。
 アルバムコンセプトとしては、過去に出した『Portraits』(私の記事)や『Soleil Portraits 2』(私の記事)に通じるところがある。しかしこれらのアルバムを聴いたときのようなワクワク感というものはない。ライナーノーツにもあるように、おそらく震災を意識したためであろう。祈りのような内省的な曲が多く、それらのイメージがアルバム全体を覆っている。それは、坂本龍一作曲の2「プレリュード」や13「スモール・ハピネス」、そしてF・モンポウ(F. Mompou)の(3-8)「コンポステラ組曲」に色濃い。
 ただしこのアルバムはこのような曲ばかりでできあがっているわけではない。ポップスなど採られた、ビー・ジーズの1「愛はきらめきの中に」、ニール・セダカの10「雨に微笑を」、ビートルズの14「フール・オン・ザ・ヒル」などのような曲もある。「雨に微笑を」では、「雨に唄えば」や「オーバー・ザ・レインボー」のフレーズがさりげなく入っていたりして、遊び心もある。でも全体的にはなぜか暗さが目立つのだ。『プレリュード』というタイトルには、未来への前奏曲という意味合いを強く込めているらしいのだが。
 よくギター1本でここまでオーケストラ感を表現できるものだと感心したのは、(11-12)「ギターのための《くるみ割り人形》組曲」。このアルバムではギター用ではない曲の編曲を担当したのは佐藤弘和であるが、彼の力量はこんなところでも感じられる。個人的に一番好きだったのは、マーラーの「交響曲第5番嬰ハ短調」より9「アダージェット(第4楽章)」。美しく透明感のある仕上がりになっている。それに対して好きではないのだが、ギター曲として完成されていると感じたのは、カルロ・ドメニコーニ(Carlo Domeniconi)作曲の(15-18)「コユンババ」(13世紀南トルコに住んでいた古い伝説の隠者の名前だそうです)。物語を感じさせる旋律は、ここでもやっぱり悲しみが宿っている。最終曲の19「スターダスト」で、少しだけ明るい未来を予感させているのだけれど。

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2011年11月26日土曜日

『知性の限界』高橋 昌一郎

 講談社現代新書。副題「不可測性・不確実性・不可知性」。
 本書は『理性の限界』(私の記事)の続編として書かれたもので、前書と同じく、専門家、素人入り乱れてのシンポジウム形式で進んでいく。内容的には、前書よりも哲学的な話題が多くなっており、前回冷たくあしらわれていた「カント主義者」も少しはましな扱いを受けている。そして、おそらくこの哲学寄りの内容になっているせいであると思われるのだが、前書のような歯切れの良さといったものは多少犠牲になっており、焦点がややぼやけ気味になっているように感じた。とはいえ、読んだときのおもしろさは相変わらずで、『理性の限界』と併せて『知性の限界』も読んでみることをお勧めする。
 さて、副題の3つの言葉はそれぞれ、「言語の限界」、「予測の限界」、「思考の限界」に対応している。しかし『理性の限界』のときのように副題と定理等が直につながっているわけではないので、少し対応がわかりにくい(前書では、不可能性・不確定性・不完全性という言葉が、それぞれ「アロウの不可能性定理」、「ハイゼンベルクの不確定性原理」、「ゲーデルの不完全性定理」と対応していた)。
 「言語の限界」では主にウィトゲンシュタインの思想が紹介されている。前期の『論理哲学論考』から、「言語ゲーム」や「生活形式」に代表される後期の思想まで、バランスよく論じられている。それにクワインの「指示の不可測性」、ハンソンの「観察の理論負荷性」などの話題を取り入れつつ、最後は哲学畑と科学畑との間に起きた「サイエンス・ウォーズ」で章を終えている。個人的には「サイエンス・ウォーズ」がその後どういう収束の仕方をしたのか気になったのだが、そこまで詳しくは論じられていなかった。
 「予測の限界」では、歴史が繰り返すことを前提にしている「帰納法」の正当性という議論から、必ずしも「帰納法」が正しいとは限らないことが示される。その論拠のひとつとして取り上げられているのがポパーの反証主義で、これは「進化論的科学論」につながっているという。ほかにこの章では複雑系や地震予知に係る話題なども出てくる。
 「思考の限界」では「人間原理」について述べられている。「人間原理」とは、極論すると、宇宙は人間を存在させるために様々な物理定数を微調整して決めてきた、というものだ。一見、眉唾物としか考えられない原理だが、意外に説得力も持ち合わせていて悩ましい。この章ではファイヤアーベントの知のアナーキズム(何でもあり、という理論)や神の存在証明なども取り上げられている。私には煮え切らない議論に思えてしまったが、それだけ「思考の限界」に関する議論というのは、なかなか結論のでない話題なのかもしれない。
 以上が本書の概要であるが、『理性の限界』とこの『知性の限界』とを併せて考えてみると、哲学や科学で捉えられる範囲は意外に狭く、その中でも今現在わかっていることはさらに少ない、という印象を持ってしまった。しかし、それは逆にいうと、哲学や科学の発展の可能性がまだまだ大きいということでもあるので、私としてはその可能性にかけてみたい。それにしても、この限界の存在を認めたくない人はかなり多いのではないか、とも感じた。2冊とも、なかなかにおもしろい本である。

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2011年11月25日金曜日

PCから火が

 先日パソコンの電源が入らなくなったので、電源ユニットの交換をした。その後通電すると、フロッピーディスクドライブにつながっているラインから煙が立ち初め、発火!
 私の接続ミスなのか、パーツ自体が悪かったのかはわからない。すぐに電源を落として大事には至らなかったけれど、皆さん気をつけましょう。

2011年11月20日日曜日

『いしやきいも』LUPICIA

 石焼き芋をイメージした紅茶。
 サツマイモが入っているんだけど、香りはジャガイモにバターをのせたような感じ。味はきちんとサツマイモにバター。でも北海道ではあまりサツマイモにはバターを合わせないような気がするんです。だからどうしてもジャガイモのイメージから抜けられない。ほかの地域の人はどう感じるんだろう。まずくはないです。適度な香りのフレイバードティー。ほんの少しの砂糖とミルクを入れると、もっとおいしくなると思います。

LUPICIA

2011年11月19日土曜日

『À ton oreille...』高橋ピエール

 2009年。takahashi-pierre。ア・トンノレイユ。「君の耳もとで」。CDに貼ってあるシールに、「ノーブルロマニスト=高橋ピエール"ピエールギター"という新しいジャンル」と紹介してあるけど、意味は不明。時折ピアノやパーカッションの音が入るが、基本的にクラシックギターのアルバム。でも全部高橋の自作曲。
 この数ヶ月、インテリアショップの『私の部屋』札幌オーロラタウン店で繰り返しかかっているのが、このアルバムの1曲目に入っている「君と僕との色々な角度」。この曲の持つ不思議な、でも揺りかごに揺られているような心地よい雰囲気に惹かれて、このアルバムを買ってみた。期待を裏切らない。癒し系なんだけど、ヒーリングミュージックにありがちな、おざなりの曲というのがなくて、どの曲もきちんと作り込んである。曲によっては本当のクラシックの曲のよう。
 「針金ワルツ」「水玉のワンピース」「組曲「les calendriers」より」「一度だけ」と合わせて、計5曲23分しかないアルバムなので、エンドレスにしてずっとかけている。逆にそれがいいみたいで、私の部屋の一部と化しています。気に入りました。

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2011年11月16日水曜日

コメント機能がおかしい?

 先日、閲覧者がコメントを書き込めるようにしたつもりでしたが、うまく機能していないかもしれません。実際に書き込んでくれた人がいるみたいなのですが、ブログの管理画面の方にはそのコメントが届いていないのです。私がコメントを書いた場合はすぐに反映されるのですが。
 もし書いてくださった人がいたなら、ごめんなさい。書いてもらっても私まで届いていない可能性があります。その場合、公開されることもありません。
 この場をお借りして、お詫び申し上げます。

2011年11月15日火曜日

初雪2011

 11月14日の夜、札幌に初雪が降った。1876年(明治9年)の観測以来3番目に遅い初雪。平年より17日も遅い初雪。1番遅かったのは1890年(明治23年)11月20日。
 今シーズン初めてマフラーと手袋をして出かけたのが、ちょうどこの日。天気予報は意外に当たる。実際に雪が降っているのを目にしたのは、翌日15日の夜だったけれど。

2011年11月12日土曜日

コメントについて(試しに)

 これまでコメントの入力にはちょっとしたハードルを設けていたのですが、試しにそのハードルを外してみました。
 対応できないほどのコメントがきたり荒れたりした場合には元に戻すけど、ちょっとだけ様子を見てみようかな、と。コメントが公開されるかどうかが私次第なのは今までどおりですけど。

『BRAZIL Fazenda Bau』Tully's Coffee

 タリーズ ブラジル ファゼンダバウ。タリーズが2006年、バウ農園に植樹したブルボン種から収穫したコーヒー。
 苦みと酸味のバランスが絶妙で、すごくおいしい。こんなに自分の舌に合ったコーヒーに出会ったのは久しぶり。ほのかなナッツのような後味。決して高級な味ではないんです。味が立っていなくて、気取らない感じ。でも、えぐみとかの嫌な感じがまったくしなくて、冷めてもおいしい。
 今まで自家焙煎の店にこだわり気味だったけど、量販店の豆も結構いいのがあるんですね。

Tully's Coffee

2011年11月11日金曜日

『Children of the Harvest』Laurence Juber

 2011年。ロウレンス・ジュバー。
 本作は報道ジャーナリスト、デニス・マーフィー(Dennis Murphy)が2009年に手がけたドキュメント映画『Children of the Harvest』のサウンドトラックである。それが、このアルバムのうちの「Act I」~「Act VI」までの6曲にあたる。そしてボーナストラックとしての5曲がそれに加わって、このアルバムはできている。
 ロウレンスはアコースティックギタリストで、このアルバムの中心もアコースティックギターということになる。多くの曲でギターを2本以上重ねているようだ。前半は、実際には6曲なのではなく、6回の演奏なんだと思う。例えば「Act I」は10曲程度の曲のメドレーに聞こえる。さまざまなメロディの断片、それはアイデアとも呼べるだろうが、それらをつなぎ合わせたのが、それぞれの「曲」なのであろう。それに対してボーナストラックの方はきちんとした「曲」として成り立っている。「One Hundred Hatpins」なんかは、山弦(私の好きなギターデュオ)の音楽を彷彿とさせて、なかなかいい。ほかに、「Shenandoah」の素直なアレンジも好感が持てる。
 ギターの生音の感じがとてもきれいに録れている。それぞれのメロディの断片もセンスがある。だからこそ惜しいと感じるのは、前半の6曲を構成しなおしたら、それだけで10数曲のきちんとしたアルバムになったんじゃないか、ということ。その時間は十分にあっただろうに。

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2011年11月6日日曜日

『フォントのふしぎ』小林 章

 美術出版社。副題「ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?」。
 フォントはいたるところで目にすることができる。街角の看板や標識、食品のパッケージやロゴ、ブランド名、書籍・・・。それらのフォントが使われている実例を、欧米で撮った270点にも及ぶカラー写真を交えて紹介している。そして副題にあるとおり、どうしてルイ・ヴィトンやゴディヴァのロゴが高級そうに見えるのかだとかも教えてくれるし、目の錯覚とフォントの関係といったトリビア的なものもたくさん教えてくれる。
 まず写真がきれい。そして砕けた感じの文体が親しみやすく、読者とフォントとの間の壁を取り払ってくれる。もともとフォントが好きな人はもちろん、そうでない人も雑誌を読むような感覚で気軽に読めるようになっている。素敵な本です。
 (念のため)欧文フォントを対象にしています。和文フォントは扱っていません。また、もっと本格的に欧文書体について知りたい人は、同じ著者の『欧文書体』(私の記事)、『欧文書体2』(私の記事)などもよい本だと思います。

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2011年11月5日土曜日

500m美術館常設化

 2011年11月3日、札幌地下鉄の大通駅からパスセンター前駅までの間の通路に美術館が誕生した。おそらく日本で一番長い美術館。ただの通路だから、もちろん無料。写真の看板(?)のタイトルの上には、「札幌大通地下ギャラリー」と書いてある。
 実は2006年以降、毎年11月の1ヶ月間だけこの美術館が出現していた(私の記事)。それがこのたび常設化という運びになったわけである。うれしいではないか。暗い通路が明るくなった。
 大きな作品が多く、昨年までと違って平均的なレベルが高い。しばらくは特別展という感じで、公募作品は展示していないみたい。
 ここを歩く機会はあまりないかもしれないが、四季劇場や札幌ファクトリーに行くときに、地上ではなく、この地下通路を歩いてみてはどうでしょう。

2011年11月3日木曜日

『See, The Sky』Ben Lapps

 2010年。ベン・ラップス。ソロギターアルバム。
 一聴して、ああ、ヘッジス系、という感じのギター(Michael Hedgesのことです)。ジャスティン・キング(Justin King)に多大な影響を受けたと本人がいうのも頷ける。久しぶりにこういう系統のアルバムを聴いたから、最初のうちは結構とまどった。メロディらしいメロディがなく、時折混ざる短いモチーフを基点にして音が流れていく。タッピングやボディヒッティングを絡めながら音をふくらませていく。そんな感じ。
 でもタッピングやハーモニックスというのは、聴き慣れると意外とクセになるんですね。これといってすごく好きな曲というのはないけれど、アルバム全体をかけ流しておくと、わりとよいBGMになってくれます。

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『理性の限界』高橋 昌一郎

 講談社現代新書。副題「不可能性・不確定性・不完全性」。
 副題の3つの言葉は、それぞれ、「選択の限界」としての「アロウの不可能性定理」、「科学の限界」としての「ハイゼンベルクの不確定性原理」、「知識の限界」としての「ゲーデルの不完全性定理」に対応している。
 「アロウの不可能性定理」とは、完全に民主的な選挙制度は存在しないというもの。選挙制度によって、どんなタイプの候補者が受かりやすいかが決まってくるという。例えば、熱狂的支持者も多いが敵対者も多い候補者は、単記投票方式が有利になる。だから現実には、どういったタイプの候補者を選出したいかによって、選挙制度を決めている面があるという。世界中で選挙制度がさまざまに異なっているのは、完全に民主的な制度が存在しないことの裏返しでもあるというわけだ。
 「ハイゼンベルクの不確定性原理」とは、人間の観測には超えられない限界があるというもの。例えば、原子を構成する電子の位置と運動量とを同時に観測(決定)することはできない。
 「ゲーデルの不完全性定理」とは、あるシステムが存在するとき、そのシステムでは真であることを証明できない命題が存在する。また、そのシステムでは自分自身の無矛盾性を証明できない、というもの。例えば、数学というシステムを考えたとき、証明不可能な命題が存在する、ということだ。もしかすると、現在証明されていない数々の数学命題の中には、どんなにがんばっても証明不可能なものがあるのかもしれない。
 これらの話は一見するとすごく難しく見えるかもしれない。でも著者はこれを実にわかりやすい方法で表現している。本書全体がシンポジウムという形で展開されているのだ。そこには、生理学者、国際政治学者、科学主義者、論理学者などの専門家のほか、大学生A、会社員、運動選手といった、いわば素人も登場してくる。そしてその素人にもわかるように書かれているのが、本書なのである。また、上に述べた原理や定理に関連して、囚人のジレンマ、シュレーディンガーの猫、ぬきうちテストのパラドックスといった、興味深い挿話がふんだんに取り込まれていて、読んでいて飽きない。
 新書という形式上、それぞれの理論が深く掘り下げられているわけではないが、詳しく知りたい人は本書の後ろに連ねられている参考文献を読めばいい。この本はそのとっかかりとして実によくできていて、おもしろい。
 ただ、シンポジウムの司会者がカント主義者に対して冷たいのは、ちょっとかわいそうな気がしたけれど。

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2011年11月1日火曜日

『French Roast』Tully's Coffee

 なるほど、タリーズだ。「RICH, SMOKY, SPICY」と書いてある。舌が少しぴりっとするくらいの苦みがある。酸味はほとんどないけれど、適度にやわらかく、深みもある。スタバとタリーズのどちらがいいというわけでもないのだが、タリーズに行くときは、こんな苦みを求めている。スタバはどちらかというと酸味が立っている気がするのだ。それを一番感じるのがエスプレッソを飲むときで、エスプレッソはタリーズの方が好きだ。おいしさの問題ではなく、単に好みの問題。

Tully's Coffee