2011年7月31日日曜日

『Mimolette』

 ミモレット。フランス産のハードタイプのチーズ(オランダ産もある)。アナトー色素で鮮やかなオレンジに色付けされている。
 今回のものは12ヶ月熟成されたもので、弾力はなくなり硬めの仕上がり。見た目も味も、少し「からすみ」っぽい雰囲気がある。やや強めの塩味と豊かなコクが何ともいい感じでおいしい。

2011年7月30日土曜日

『HoSoNoVa』細野 晴臣

 2011年。
 「ホソノ場」であり、ボサノヴァならぬ「ホソノヴァ」でもあるこのアルバム。全曲ヴォーカルというのは、『HOSONO HOUSE』(1973年)以来。あのときのようなインパクトはないけれど、そのときにはなかった老練なる安定感がある。カヴァー5曲、オリジナル7曲の構成なのだが、すべてが細野晴臣の音楽になっている。ギターとベースを基軸としながらも、アコーディオンやマンドリンなどが絶妙に絡んできて、細野の朴訥(ぼくとつ)とした声がそれら全体をとりまとめている、という感じ。どの曲も気に入っています。
 題名からはボサノヴァのアルバムかとも思ってしまいそうだが、実際にはボサノヴァ風の曲4「Rosemary, Teatree」(リズムの基本はルンバだけど)があるくらいで、ほとんどの曲は、大きな括りでポップスということなんだろうと思う。
 このアルバムは、どこかヨーロッパの海辺の街に誘(いざな)ってくれそうな1「Ramona」から始まる。ワルツのリズムを刻むギターがいい。チャップリンの『モダン・タイムス』からの2「Smile」も異国情緒に溢れている。3「悲しみのラッキースター」は、スキップしたくなるような軽快なポップ。ベースとアコーディオンが織りなすリズムが心地よいのは、5「ただいま」。6「Lonesome Road Movie」、7「Walker's Blues」は『HOSONO HOUSE』に入っていてもおかしくないような懐かしい感じの曲。いいですね。8「バナナ追分」はCoccoの声の絡みが妙にはまっていて、いい感じ。9「Lazy Bones」、10「Desert Blues」は、どちらも素敵なブルースです。11「Kimona Girl」(カモナ・ガールと読む)もブルースなのだが、邦楽旋律を使った、頽廃ムード満開の異色なブルース。最後を締めるのはプレスリーからの12「Love Me」。このアルバムでは異質な雰囲気を持っているが、アルバムを締めくくるのにはぴったりなのかもしれない。
 以上、(私のブログでは珍しく)全曲駆け足で紹介してみました。ホソノワールド、いかがでしょうか。

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2011年7月24日日曜日

『Philosopher's Stone』下山 亮平

 2011年。ソロ・ギター・インストルメンタル。タイトルは「賢者の石」ですね。制作が「Philosopher Records」だから、それに引っかけたのかもしれない。
 ノリのよい曲はあっても、派手な曲がない落ち着いたアルバム。堅実な演奏。かたい演奏ともいえるが。そのときのインスピレーションにまかせて勢いで曲を作っているというよりは、考え抜いて音を並べていった、という印象を強く受ける。演奏だけじゃなく、曲作りも堅実な感じ。全体的にちぢこまった印象があり、その辺りに物足りなさを感じるが、別に個々の曲が悪いわけではない。
 少ない音数に哀愁が詰まっている11「冬の銀河」。さわやかな雰囲気の6「ハーパーズ・ミルの朝」、7「Wedding Bouquet」。暖かいオレンジ色の光に満たされる12「陽光」。3「降る雪を見ればセンチメンタル」もいいですね。
 こうして聴き返してみると、きれいなメロディが多い。コード・ワークで攻めるんじゃなくて、メロディ・メーカーなんだと思います。

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2011年7月23日土曜日

『茉莉鴻運高照』LUPICIA

 Jasmin Water Sprite。モーリーコウウンコウショウ。「手毬(THÉ MARI)」シリーズの中の一品。工芸茶。

 ジャスミン(茉莉)の香りを付けた緑茶。渋みがちょっとだけある、普通のジャスミンティーといった印象。二煎目以降はそれに甘みが増してくる。甘みが入っている方がおいしいですね。ただ、「手毬(THÉ MARI)」シリーズ内のお茶はほとんど同じ作りをしているんだから、お茶によって、そう味が変わるわけではないとは思う。
 見た目はシンプルですね。緑茶の中からジャスミンの白い花が立ちあがって、その一番上に千日紅の赤い花が鎮座しているという。懲りすぎていないところが、逆に好感が持てる。

LUPICIA

2011年7月18日月曜日

『Brie de Meaux』

 ブリー・ド・モー。フランス産の白カビタイプのチーズ。イルドフランス地域圏のモー(Meaux)郡のブリーということだが、ブリー・ド・モーだけでひとつの固有名詞みたいになっている。1815年のウィーン会議でのチーズ自慢で1等賞になり、「チーズの王様」と賞賛されたという。
 今回のものはほぼ2ヶ月熟成させたもので、においも結構強い。熟成させていないとすごく食べやすいチーズなんだけど、これくらいになるとチーズが好きな人じゃないと駄目かもしれない。でもとてもクリーミーで、舌の上でとろける感じが何ともいえない。そしてコク。このしっかりと塩味のついた強いコクは、食べていて嬉しくなる。赤ワインがほしい。飲めないくせに。

『Lákura 分室』

 『Café Lákura』、『楽蔵(分室)』とも。札幌の厚別にあるセレクトショップ『Lákura(ラクラ)』が運営するカフェ。札幌すすきの前を通る国道36号線を西に行き、ジョモのガソリンスタンドの手前で左(南)に折れ、すぐに右の細道に入る。ガソリンスタンドのすぐ裏手で、本当にこの道でいいのかと思うほど道幅が狭いが、それで正しい。細道の左手前方に煉瓦造りの倉庫が見える。このカフェだ。昔この建物は『はーぜんろっほ』というカフェだったのだが、知らぬ間にこのカフェに変わっていた。
 店内は、『はーぜんろっほ』のときよりも洗練された雰囲気が漂っている。温もりのある白い壁と、木製の濃い茶色の家具や柱とのコントラストがいい。1階がカフェ、2階がショップやライブスペースとして使われている。カフェスペースからは庭の景色が見え、都会の喧噪から逃れてきたような感じがして、くつろいだ気分になれる。テーブルの上に置かれた板のメニューや、建物内の案内に使われている丸っこい字も、どこかあたたかみがあってほっとする。
 コーヒーは『森彦』によるブレンドで、かなり濃い苦み系。パンは小樽の忍路の『エグヴィヴ』のものを使っているそうだ。今日のランチはこのパンをピザ風にしたものと、キッシュとスープのセットだった。

Lákura 分室』札幌市中央区南4条西9丁目1009-3(地図

2011年7月16日土曜日

『グァテマラ・サン・ヘラルド』横井珈琲

 普通の豆の量で淹れると、かなり濁ったざらついた強い酸味があって、私にはきつい。これはやや少なめの豆を、高めの温度でさっと淹れるのが正しい(と思う)。そうやって淹れたコーヒーは、すっきりとして清楚な出で立ちをしている。これならおいしい。ほどよい酸味が心地よい。
 そういえばグァテマラっぽい感じがしない。コロンビアの味のイメージに近い。このごろのコーヒーは産地国でカテゴライズするのはあまり意味がないのかな、とふと思った。同じ国でも農園によって全然違う味がするし、さらに同じ農園でも年によって違う味になる。これは昔からそうだったのに、私が産地にこだわっていたために、色眼鏡ごしにコーヒーを味わっていたせいなのかもしれない。そうなると、このブログのタイトルは、「『グァテマラ・サン・ヘラルド2011』横井珈琲」とすべきなのかも。

工房 横井珈琲』札幌市西区発寒9条11丁目2-11(地図

2011年7月12日火曜日

『親愛的... 我還不知道』張懸

 2007年。チャン・シュエン。Zhang Xuan。台湾の女性シンガー。でもアマゾンにはアーティスト名として「Deserts Xuan」と書いてある。なぜだろう。確かにジャケットには「deserts」と手書きで書いてあるが、紛れもなく張懸のアルバムであるはず。
 以前購入した張懸の『My Life Will...』(記事)があまりにもよかったので、彼女のアルバムを順番に聴いてみることにした。
 やっぱり好きですね。ギターの音(アコギもエレキも)と彼女の声が織りなすアンニュイな雰囲気が、今の気分にぴったりはまる。少し激しめの1曲目「畢竟」から、この世界観に引き込まれた。アルバム全体の印象としては、ノリのよい曲や静かな曲を適度に織り交ぜながらも、全体としてはあまり派手さを感じさせない。キャッチーな曲がほとんどないのも、そういう印象を持った理由のひとつかもしれない。
 個人的な好みでいえば、静かめの曲の方が好きです。前作の「寶貝」を思わせる、かわいらしい感じの6「兒歌」。アコースティックギターのバッキングにピアノのエッセンスを利かせた4「親愛的」。語るように歌を紡いでゆく7「模樣」。きれいな旋律が印象的な11「並不」。
 5「gonna stop」や8「討人厭的字」のようなノリのよい曲もいいですけど、ただ、どんなタイプの曲であれ、憂いや翳りといったものが感じられる。それが魅力のひとつであることは確かですね。

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2011年7月10日日曜日

『茉莉幸運花藍』LUPICIA

 Jasmin Bouquet of Happiness。モーリーコウウンカラン。「手毬(THÉ MARI)」シリーズの中の一品。工芸茶。

 ジャスミン(茉莉)の香りを付けた緑茶。控えめな甘み。緑茶の味もちょっと物足りない。味はそこそこ、という感じ。と、ここまでは一煎めの感想。二煎めは全体的にまろやかになり、味もしっかりと出てきて結構おいしい。緑茶は一煎めよりも二煎め以降の方がおいしくなったりするから、注意しないといけない。紅茶と違って、一煎めでやめるのは実にもったいない。
 このお茶、見た目も大成功です。緑茶の土台のちょうど中央に千日紅の赤い花があって、左右からはジャスミンの白い花とクコの赤い実が交互に立ち上って、アーチをなしている。工芸茶は、もちろん味がいいことに越したことはないけれど、見た目がとても重要だと思うんですね。これはよくできています。贅沢な気分を味わえる。

LUPICIA

2011年7月9日土曜日

『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』井上ひさしほか文学の蔵編

 新潮文庫。
 この本は、1996年に岩手県一関市で行われた3日間の「作文教室」をまとめたものである。「文学の蔵」の人が、井上の講義を文字に起こしている。
 「文章講座」ではなく「作文教室」なのには理由があり、基礎からやりましょう、ということらしい。一番のポイントはもう最初のページに書いてあって、
「作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね。」
に尽きてしまう。でもこれが一番難しいことで、プロにでもなかなかできないという。このことを教えてもらったことだけで、この本を読んだ元は取ってしまった。
 他に、文は短い方がいいだとか、一人称はほとんど必要ないことが多いだとか、色々なことがポイントを絞って語られる。私は全然これらのことを実践していないな、と思いながら、反省しつつ読み進めた。ときにユーモアを交ぜながらも、話が国語教育批判に及ぶなど、硬軟とりまぜた話がおもしろい。
 本書の最後には、生徒の書いた原稿用紙1枚の作文と、それに対する著者の添削が26編収められている。これが実に役に立った。わかりやすく人に伝える文を書くにはどうすればよいのかが、直にわかった。
 この本に書かれたことがすべての場合において正しい、とは思わない。でもとても大事なことが書かれている。たまにこうして基本に立ち返ることはよいことだ。一応文章を人に公開している自分にとっては。

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2011年7月6日水曜日

『Speechless』山口洋/細海魚

 2011年。スピーチレス。
 静寂の中、ステージにスポットライトが当たり、音楽が流れる。音が立体的に配置され、そこに奥行きと空間が生まれる。闇の中から音楽が立ち上がる。
 ライブ音源を元に慎重にノイズを取り除いて作られたのがこのアルバムである。ヒートウェイヴのメンバーである山口、細海が二人で作り上げたアルバム。細海のキーボードに山口のギター、ヴォーカルが重なる。限りない透明感が作品全体を覆っている。ジャケットに曲名は書かれていない(そういえば前作『land of music』にも曲名が書かれていなかった)。個々の楽曲に囚われるな。ただ、このライブに耳を澄ませ。そう叫んでいるかのようだ。無骨で野性的なヒートウェイヴの音を期待していると肩透かしを食らうかもしれない。それほど今までのアルバムとは違う音で満たされている。

 でも、いい音だ。

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2011年7月3日日曜日

『九つの物語』J.D.サリンジャー

 集英社文庫。J.D.Salinger。中川敏 訳。サリンジャーが自ら選んだ九つの短編を集めた本。
 著者は、緻密なストーリー展開を行って最終的には読者を納得させる、あるいは腑に落ちさせる、という物語の作り方はしていない。それよりも何か行間に漂う不安、恐怖、やるせなさ、やりきれなさ、小さな幸福感、といった微妙な感情を読者にも感じさせること、そこに主眼を置いているような印象を持つ。私の場合、その微妙な感情が心の中に自然にわき上がってくるためには、著者の時間軸に沿って、ゆっくりと時間をかけて読み進めていかなければならなかった。速読ではこの小説の良さは伝わっていかないのではないか。著者は骨組みだけを文章に記し、その肉付けは読者が感じる感情によってなされる。そんな気がしてならない。骨組みだけをその字義通りに捉えるだけでは、不条理劇を見せられているような気分に陥ってしまい、訳がわからぬまま小説が終わってしまうような気がする。
 気に入った短編は3つあった。まずは『バナナフィッシュに最適な日』。何らかの精神病みを持っているらしい青年の周りで起こる取るに足らない出来事が、なぜだか強烈な不安感を徐々に読者に呼び起こし、最後には思わぬ展開で幕を閉じる。2つめは『エズメのために―愛と惨めさをこめて』。かつて軍人だった男とひとりの少女との出会いとその後が、現在と過去のある時点の詳細な描写の中に、さりげなく語られる。二人の接触は驚くほど少ないにもかかわらず、絆は深い。最後にはある種の救済を感じさせ、九つの作品の中ではほっとさせられる短編。3つめが『テディー』。10歳という器の中の、それとは恐ろしい程のギャップのある知能。初めのうちその違和感に戸惑いつつも、次第にそれが必然に変わっていき、最後には神がかり的な超必然で終わる。著者の作品では珍しく、「その後」を感じさせない終わり方。
 思えば、高校のときに『ライ麦畑でつかまえて』でサリンジャーと衝撃的な出会いをし、大学に入ってすぐに『The Catcher in the Rye』を原文で読むほどののめり込みを見せたのに、その後彼の他の作品を読むことはなかった。そして今になって彼の短編と出会ったことに、何だか不思議な感慨を覚える。彼の作品群に目には見えないつながりがあるのと同じように、私の人生もまたひとつにつながっているんだ、というような感覚。彼の作品が、まだ私の中で生きている。

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