2017年8月12日土曜日

『Until』Lotte Kestner

 2013年。ロッテ・ケストナー。
 トレスパッサーズ・ウィリアム(Trespassers William)のヴォーカリストだったアンナ・リン・ウィリアムズ(Anna-Lynne Williams)のソロ・プロジェクト。ギターのアルペジオに淡々と歌を重ねていくようなシンプルなアレンジの曲がほとんどを占める。まるで会話の延長のように木訥と語りかけてくる彼女の歌声に、そんなバックの演奏がぴったりはまっている。1日の仕事が終わってネットサーフィンでもしながらゆったりしているときに、部屋のもう一方の片隅でさりげなく弾き語っているのを聴いているみたいで、なんだかほっとする。

2017年8月11日金曜日

『アマルティア・セン講義 経済学と倫理学』アマルティア・セン

 ちくま学芸文庫。徳永澄憲、松本保美、青山治城 訳。
 本書は、アマルティア・センが1986年4月に行ったカリフォルニア大学バークレー校でのロイヤー講義の内容をまとめたものである。
 例えば選択間の内部的整合性だったり自己利益の最大化といったふうに、人間は合理的に行動するものだという主流の経済学の考え方はちょっと違うんじゃないか。そこに倫理学的思考を入れることで、経済学はもっと現実に即したものになるんじゃないか、と著者は考えている。そんな著者の思想を全体的に俯瞰して解説しているのが本書である。
 ただ、私には難しかった。著者が言いたいことが難しいからではなく、専門用語がよくわからなかったからだと思う。実証主義経済学、厚生主義経済学、一般均衡理論、結果主義、功利主義、厚生主義…。これらがなんとなくでもイメージできる程度の素養がなければ、彼のいいたいことを本当に理解するのは困難なのではないか。逆にそれらの基礎的な経済学の素養を持っている人であれば、この本を面白く読めるのではないかと思った。出直してきます。

2017年8月5日土曜日

『第32回北の日本画展』大丸藤井セントラルスカイホールギャラリー

 2017年8月1~6日。1985年に創立した北海道を中心に活動する日本画作家のグループ展。
 実のところ私は日本画とはなんなのかよくわからない。明治期に洋画と区別するために「日本画」という呼称がつけられたらしいということは、ネットを調べてわかった。江戸以前の日本の画家の描いたものは日本画とは呼ばないこともわかった。しかし岩絵の具や和紙を使えば全部日本画と呼んでいいものなのかどうか、私にはよくわからない。日本画ってなんなんだろう。
 とか思いながらこの展覧会を観にいった。具象ばかりでなく抽象画もある。メルヘンチックなのもある。輪郭があるものもあればないものもある。ああ、これって日本っぽいなと思うのももちろん多いけれど、全然そうでないものもある。当然のことながら好きな絵もあればそうでない絵もある。日本画って幅広いなと思った。これらの絵の中では、粉を吹いたような白っぽい絵が気になった。油絵やアクリル画、あるいは水彩画などでもこのような表現は可能なのだろうか。
 今後も日本画を観る機会があれば行ってみようか。

大丸藤井セントラルスカイホールギャラリー』札幌市中央区南1条西3丁目2

2017年8月4日金曜日

『〈象徴形式〉としての遠近法』エルヴィン・パノフスキー

 ちくま学芸文庫。木田元監訳。川戸れい子、上村清雄訳。
 遠近法で絵を描くということはごく当たり前のこととして、なんの疑いもなくそれを受け入れてきた(最近の私の絵は遠近法に従っていないものも多いのはさておき)。でもこの本に書かれているように、言われてみるとギリシャとかルネサンスとかの時代時代において、必ずしも今と同じような平面遠近法を使って絵を描いていたわけでもないし、それが受け入れられていたわけでもない。目で見えるように描くということと遠近法を使って描くということがイコールでつながると当然のように思っていたのだけれど、それはイコールではなかったということは、驚きだった。我々は世界を写真のように見ているつもりでいるけれど、実はそのようには見えていない。また、実際に個人が見ているように空間を構成することは、ものの本質を個に還元してしまっているという理由で、間違っていると考えていた時代もあったということも初めて知った。ギリシャ時代から今にいたるまで、画家や建築家たちが遠近法とどのように向き合い、その遠近法がどのように変遷してきたのか、豊富な例によって真に迫る論考をしている。本書のうち本文は3分の1程度で、あとは注と図版であるが、とても読み甲斐があって面白かった。

2017年7月26日水曜日

『日本語のレトリック』瀬戸 賢一

 岩波ジュニア新書。副題「文章表現の技法」。
 レトリックというと、つい「修辞」のことだと思ってしまうのだけれど、著者によると「レトリックとは、あらゆる話題に対して魅力的なことばで人を説得する技術体系である」らしい。「修辞」よりはもっと広い概念なのだ。といいつつ、この本ではこのレトリックのうち「修辞」に焦点を当てて、30種類のレトリックを解説しているのではあるが。
 山のような本、冷たい人、鍋を沸かす。ふだん何気なく使っている言葉にもレトリックが潜んでいる。もちろん文学作品にも多く使われていて、本書では、古くは平家物語や柿本人麻呂、最近では村上春樹や筒井康隆など多くの作品から例文がとられている。隠喩や直喩など馴染みのものから、緩叙法、撞着法、声喩なんていうあまり聞かないものまである。とはいえどのレトリックもたいていの人なら耳にしたことのある表現ばかりだ。無意識にこんなにたくさんの表現方法に親しんでいたのかと思うとびっくりする。そしてこれらは日本語特有のものではなく、どの言語にも見られるものなのだという。じゃあなぜこんなタイトルなんだと思ってしまうけれど、それはやっぱりこの本は日本語のレトリックについて書かれた本だからなんだろう。ジュニア向けと侮ってはいけない。文章表現はなかなかに奥が深い。

2017年7月22日土曜日

『Luna』Karlijn Langendijk

 2017年。カーレイン・ランゲンデイク。
 ソロギタースタイルのアルバムで、今までデュオとしては出していたことがあるけれど、ソロとしては初めてのアルバム。4曲しか入っていないミニアルバムだけれど、以前から彼女のソロギターを聴いてみたかったので別に構わなかった。全曲ガットギターを使っていると思う。YouTubeで初めて聴いたマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の『Beat It』のカヴァーも入っている。相変わらずグルーヴィーで引き込まれる。1曲目に入っているオリジナル『Triangulum』は、コンテンポラリーながらクラシカルな雰囲気もあって、ちょっと激しめに攻めているな、という感じだった。これら2曲が動を表しているとすると、対極の静を表現しているのがビリー・ジョエル(Billy Joel)の『Lullabye』のカヴァーと、オリジナルの『Luna』の2曲だ。ゆったりとしていて静謐な、とても落ち着いたアレンジになっている。そうやって丁寧に紡ぎ出されたギターの音は、アルバムタイトルそのものである。
 ミニアルバムながら、まったく違う雰囲気の4曲で構成されているので、飽きさせない。ただ、今後はどの方面の音楽を主体に目指して行くのだろう。オリジナルを聴くとクラシック・ギターという感じだけれど、カヴァーはポップ寄りだし。有名なギタリストではないのだけれど、これからも追いかけていきたい。

『Karlijn Langendijk』のホームページ

2017年7月19日水曜日

『規則と意味のパラドックス』飯田 隆

 ちくま学芸文庫。
 「68+57=?」と聞かれると、ふつう「125」と答える。でも彼は言う。「5だ」。「なぜ?」 。「この「+」はプラスではなくクワスだ。クワスとは、「+」の前後にある数字がどちらも57より小さいときは足し算で、それ以外のときは「5」になる関数なのだ」
 わけがわからないと思うだろう。私もそう思う。それなのに彼の言うことに反論しようとすると、いや、これこれこういう理由で5なのだ、と言いくるめられてしまう。相手を論破しようとしてもどうしてもできない。こんなに当たり前のことなのに。
 言葉、記号などの意味やその使い方は、当然わかったうえで使用しているとたいていの人は思っている。だけれど、突き詰めていくと意外とツッコミどころが満載で、言葉の意味って実はなんなんだろうと、よくわからなくなってくる。そんな不思議な規則と意味についての哲学的議論を、本書では主にクリプキによる『ウィトゲンシュタインのパラドックス』という本の内容をひもときながら展開していく。
 なかなかに込み入っていて難しい内容ではあるが、できるだけわかりやすいようにかみ砕かれていて、哲学的思考のめんどくささとおもしろさを同時に味わわせてくれる、刺激的で楽しい哲学入門書である。